答えを知ること、覚えることに意味がない時代である。
変化のスピードがあまりに早く、
同じことをやっても同じ結果が出ないからだ。
必要なのは答えではなく、
どんな状況になっても自分の頭で答えを見つけ出す力。
合言葉は「自分の頭で考えろ」なのである。
しかし、それができない。
多くの人は答えが書かれたビジネス書に飛びつき、
答えに直結する資格に頼る。
企業がお金をかける研修も
何らかの「答え」を教えてくれるものばかりだ。
どうやればリーダーシップは身につくのか。
何が有効なコミュニケーション手法なのか。
ストレスをコントロールするにはどうすればいいのか。
自分の頭で考えろ、と言いながら
すぐに答えを求めてしまう。
だがそれも無理からぬことなのである。
私たちの思考は自覚もないまま
「ひとつの方向」に固定化されているのだ。
与えられた選択肢の中から答えを選び出す。
教えられた方法だけを使って答えを導き出す。
あまりにも長期間その訓練を続けた結果、
思考の方向転換ができなくなってしまった。
「何のために勉強するのか」
「そもそも勉強とは何なのか」
「働くとはどういうことか」
「仕事とは一体何なのか」
問題そのものを抽象化していく問い。
これを考えることができない。
なぜなら「問題を具体化して答えを導き出す」ことと
正反対の思考回路が必要だからである。
想像してみてほしい。
教習所で前向きにしか車を走らせたことがない人に、
いきなり公道でバックさせたらどういうことが起こるか。
間違いなくパニックに陥るだろう。
自分の頭で考えるとは、
自分で問いを立てるということである。
問題を解くのではなく問題を見つけ出す。
与えられた問題を教えられた方法で
解き続けてきた人にはこれができない。
物事を具体化することはできても、
抽象化することはできないのである。
何かを決める会議はできる。
だが「そもそも会議とは何なのか」という
問いを立てることはできない。
「この商品をこういう売り方で売ってこい」
と言われればできる。
だが「そもそも商品とは何か」
「そもそも商売とは何か」
などと聞かれても意味がわからない。
「自分の頭で考えてみろ。そもそも考えるとは・・・」
などと抽象的な話をしようものなら、
その場にいる人たちは必ず眠くなってしまう。
だが怒ってはならない。
彼らは思考を一方向に固定されてしまっているのだ。
無理に方向転換しようとすると、思考が停止して眠くなる。
悲しいかな、脳がそのように設定されているのである。
尚、同日配信のメールマガジンでは、コラムと同じテーマで、より安田の人柄がにじみ出たエッセイ「ところで話は変わりますが…」と、
ミニコラム「本日の境目」を配信しています。安田佳生メールマガジンは、以下よりご登録ください。全て無料でご覧いただけます。
※今すぐ続きを読みたい方は、メールアドレスとコラムタイトルをお送りください。
宛先:info●brand-farmers.jp (●を@にご変更ください。)
1件のコメントがあります
日本の公教育の全てではないですが、例えば、
「リスクを避けること」が重視されてきた感じがします。
そこで、例えば、
「正社員という雇用のリスクとリターンは何なのか」
「適正なリスクの取り方は何のか」
等を思考するのではなく、温室的で他責的な一方向の思考が蔓延しているような気がします。
いろいろな気づきや考えさせるコラム、ありがとうございます。