「すべての人は、すごい可能性を秘めている」と信じる大野と、「多くの人は目的などなくただ存在しているだけ」と断ずる安田。人間の本質とは何か。人は何のために生きているのか。300文字限定の交換日記による言論バトル。
13通目/安田からの返信
「自分を超えるとはどういうことか」
私もレッテルを張るという行為は好きではありません。自分を卑下するのも、他人を卑下するのも、自分はこうだと決めつけるのも、あの人はこうだと決めつけるのもよくない。それはその通りです。私が一貫して主張しているのは自分を認める大切さです。レッテルを張るのではなく、決めつけるのでもなく、弱い自分もダメな自分も認めてあげる。そのとき初めて本当の自己に出会えるのではないでしょうか。何にでもなれる、どんなことでも出来るという気持ちはとても大事。でも現実の自分を認めないことには何者にもなれない。自分を超えるとは超人になることではなく、自分自身で狭めている枠を打ち破ることだと思います。
前回12通目/大野「誰にも役割の自由と可能性があるからこそ」
そもそも僕たちはどうしてこんなにも、自分のことも含めて直ぐにレッテルを貼りたがるのでしょうか?自分はこうだ。あの人はこうだ。仕事はこうだ、人生はこうだ。その理由は、それ以上その事柄に関して考えないで済むからです、きっと。そして、そのままの姿勢では、学習すればするほど下手をしたらレッテルの数が増えるだけ。
で、質問に応えると、安田さんの言う役割(僕の言う役割とは異なる)が決まっているから与えられる楽器が異なるのではなく、誰にも役割の自由と可能性があるからこそ、与えられた楽器と自己とを区別し、自分と向き合い、時に自分を超えようと生きていけるのではないでしょうか。
ー大野より
11通目/安田「なぜ楽器は異なるのか」
自分とは単なる入れ物(楽器)に過ぎない。すべては扱う自己によって決まる。その考えに私も賛同します。同じ楽器でも別の人が奏でれば全く違う音が出ますから。では私からも質問です。その与えられた器(楽器)はなぜこれほどまでに違うのでしょうか。ゴージャスなグランドピアノで生まれた人もいれば、カスタネットで生まれた人もいる。いくら使い手次第とはいえ、カスタネットでピアノの音を出すことは不可能です。なぜこんなにも違うのか。それはやはり役割が違うからではないでしょうか。つまり(ある程度の幅こそあれ)役割は決まっているということ。車椅子のコーチには車椅子という縛りがあり、それゆえに自分の役割が明確になる。
ー安田佳生より
交換日記をする二人
●火曜日
安田佳生(やすだ よしお)
1965年生まれ、大阪府出身。
2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。
●金曜日
大野栄一(おおの えいいち)
株式会社一番大切なこと 代表取締役
http://ichibantaisetsunakoto.com/
https://www.sugoikaigi.jp/coach/eiichiono/