184通目「そこが問われている」大野

人間交換日記

「すべての人は、すごい可能性を秘めている」と信じる大野と、「多くの人は目的などなくただ存在しているだけ」と断ずる安田。人間の本質とは何か。人は何のために生きているのか。300文字限定の交換日記による言論バトル。


184通目/大野からの返信
「そこが問われている 」

なるほど!ちなみに、他人の意見や他人からの見え方を意識することそれ自体がマイナスというより、その意識の仕方によっては+にも−にもなり、ではそれがどのようなときにマイナス的に作用してしまうのか?の識別ができるか?できないか?が問題ですよね。無理して苦手なことをがんばらなくてもいいと言う安田さんの意見も、その視点を自分の状況のどういう時にどのように持ち込むのか、あるいは持ち込まないのか、そこが問われているわけであって。あと僕は正直、鬱になってしまう人の方が、まともな感覚や感性や感度をお持ちなんだと思っています。この世の中で、平気で生きていられる人たちの神経の方がどこかおかしいんです、自分も含めて。

前回183通目/安田「無理にがんばらないということ」

大野さんへ

難しい話になってきましたね。でも基本的には私も大野さんも同じことを言っているのだと思います。自分で決めればいい。自分が快適ならいい。その通りです。その通りなんですがこれがなかなか難しい。なぜなら人は「他人の意見」や「他人からの見え方」をどうしても意識してしまうからです。うつ病という病気が広く認められる前は「単なるサボり」で片づけられていました。病気という状態は一見ネガティブですが、それが自分のあるべき姿なのだと理解することでポジティブにもなれます。多くの人がストレスなくやれることに大きなストレスを感じる人もいる。だったら無理して苦手なことをがんばらなくてもいいんじゃないの。ということです。

ー安田佳生より

 

前々回182通目/大野「どのように知れるのか」

安田さんへ

全然いいんです。最終的に本人の人生で誰も強制はできない。ただ安田さんの言うなかなかしんどいというのは一体誰がしんどいのですか?快適であればいいと言いますが、何よりもそれが最適とどのように知れるのでしょうか。そのしんどいが本当にいつまでもしんどいとどのように知れるのでしょうか。理屈じゃないと言う理屈も含めて、ごめんなさい、まだピンときません。極論、どっちのレイヤーでもいいです、己で決めたのなら。ぜひ、僕が教えて頂きたいのは、どうして生まれ持ったレイヤーがあると認識する方が人はハッピーになると言えるのか。そもそもレイヤーを認識せずとも、自分が納得いく生き方をすればいいだけではないのでしょうか?

ー大野より

 

これまでのやり取り

交換日記をする二人



火曜日
安田佳生(やすだ よしお)

1965年生まれ、大阪府出身。
2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。

●金曜日
大野栄一(おおの えいいち)
株式会社一番大切なこと 代表取締役
https://ichibantaisetsunakoto.com/
https://www.sugoikaigi.jp/coach/eiichiono/

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