194通目「誰がその人の可能性を決められるというのか?」大野

人間交換日記

「すべての人は、すごい可能性を秘めている」と信じる大野と、「多くの人は目的などなくただ存在しているだけ」と断ずる安田。人間の本質とは何か。人は何のために生きているのか。300文字限定の交換日記による言論バトル。


194通目/大野からの返信
「誰がその人の可能性を決められるというのか? 」

何者にもなれるとは思っていないんです。そして、ポジティブとも素敵ともちっとも思ってない。誰がその人の可能性を決められるというのか?ってことだけなんです。アーサー、あれは極論、僕たち人間が創り出したんです。この社会のシステムの歪みそのもので、僕からするとレイヤーじゃない。つまりレイヤーがあるとすればそれは僕たちが創り出している。例えば、無理しなくていいよ、とか、頑張りすぎたらダメだよ、とか、真面目もほどほどにね、とか、良い人を演じなくていいんだよ、とか。一見するとその人を楽にするようなそれらの言葉の前提には、人間の可能性ならあなたより分かっているという驕りのような冷たさを僕は感じてしまうんです。

前回193通目/安田「結論は見えてきました」

大野さんへ

すみません。ジョーカー観てないです。でも結論は何となく見えてきました。やはり私たちは根本的な考え方がズレているようです。もちろんズレていても問題はないし、ズレているからこそ、この対談を始めたわけですけど。ズレの根本は「ポジティブな生き方」「素敵な生き方」というキーワードにあるのではないでしょうか。大野さんは努力次第で人は何者にもなれると考えている。その方がポジティブだし素敵な人生だと思っている。私はなるべきものを大きく外れたものに人はなれないと考えている。その方がポジティブだし素敵な人生だと思っている。どちらも求めているものはポジティブで素敵な人生。だけどその定義が違う。ただそれだけ。

ー安田佳生より

 

前々回192通目/大野「主人公アーサーは、」

安田さんへ

例え話としてはよく理解できます。右利きの場合、右手の親指と左手の親指では、働きぶりが違って見える。右の親指は左に比べて「よく働いて偉いな」というのは滑稽です。実は役割が異なっている。でも本当にそうでしょうか。まだ割り切れないのは、人間一人ひとりが、最初からその役割、レイヤーが決まっていることの根拠の部分。僕は、自分が何を引き受けるか?というベクトルと、もう一つ、周りがそれをどう拒否したか?あるいは許したか?のベクトルの両方が強く作用しているように思う。『ジョーカー』という映画はご覧になりましたか?あの主人公アーサーは、果たして一つのレイヤーの中の一つのキャラクターの現れに過ぎないでしょうか。

ー大野より

 

これまでのやり取り

交換日記をする二人



火曜日
安田佳生(やすだ よしお)

1965年生まれ、大阪府出身。
2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。

●金曜日
大野栄一(おおの えいいち)
株式会社一番大切なこと 代表取締役
https://ichibantaisetsunakoto.com/
https://www.sugoikaigi.jp/coach/eiichiono/

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