このコンテンツについて
なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。
ブランド(特別な存在)になる方法
コロナワクチン接種について、打ちたい、打ちたくない、様々考え方があると思います。
僕はそれは自由だから、どっちでもいいんです。
でも、「危険だから打つな」って強要してくる人とかいますよね?
微妙なエビデンス(多くはエビデンスとも言えないレベル)を持ち出して「危険だ!」「打つな!」って迫ってくる人も少なくないので、ちょっとうんざりしていました。
そんなとき、僕の奥さんが「こんな考え方もある」とfacebookかなんかのスクリーンショットを送ってきたんです。
「ワクチンは危険だから打つな」系の内容なんですが、もうびっくりするくらい稚拙な文章だったんです。
え、これ、大人の文章?小学生かな!?と疑うほどに。
そしたら、「伏せ字にしないと、facebookからアカウント停止されるんだ」と彼女が言います。
それを考慮してもあまりに幼稚な文章だったので、「こんな内容を信じる人なんかいるの?facebookだって相手にしないよ」と言うと、「すごい影響力ある人だったら消されるのでは!?」と彼女は食い下がります。
そして「この人は、すごい有名なお医者さんだよ」と続けます。
実は、かく言う僕は高校生の頃、手塚治虫先生の『ブラックジャック』を読み、なんだか感銘を受けて、医師を志したことがあるんです。(当時、心臓がちょっと悪かったことも医学に興味を持った理由かもしれません)
でも、学校で受けた性格診断テストで「慈愛の心が無いから向いていない」と言われ、おまけに学力も足りなかったので、医師の道を諦めました・・・
だから、こんな文章を書く人でも医師になれるのか!?と驚いたんです。内容もとても論理的とは言えないめちゃくちゃなものでしたから。
さて、話を戻します、僕は「有名って、この人のこと知ってるの?」と尋ねたんです。
僕はこのお医者さんのことは全く存じ上げませんでしたから。
すると、彼女は「その人は本を書いていて、Amazonでも1位をとってるから(キリッ)」と答えたんです。
なるほど、どうやら・・・
・医師
・著書(Amazonで1位)
・・・という組み合わせが、彼女にとってはその方をブランド(特別な存在)たらしめた要因だったようです。
挙げ句、僕に対しては「学者でも、医者でも無いのに偉そうなこと言うな!」と罵りましたからね(涙)
その嫁のお前は何やねん・・・と心の中でそっと突っ込みました。(仲良くやっていくためには「心の中で突っ込む」のがポイントです)
これって、すごくやりやすいブランディングだと思うんです。
ナショナルブランドのような誰もが知っている世界的な存在をイメージすると、ブランディングって難しいんですが、もっと小さいコミュニティに範囲を絞ったり、対象を限定すれば、そんなに難しいことではないんです。
特にパーソナルブランディングの場合、この例のように「医師」と「著書」といった組み合わせの効果を用いるのは有効で、誰でも特別な存在にしてくれます。
例えば、「経営者」って無数にいますよね?
だから、特別でもなんでもありません。
そこに、「ピンク髪」や「フィリピンに住んだことがある」、「空道(大道塾)の黒帯」となると、世界でも恐らく僕だけだと思います。
掛け算によって、無数に居る経営者の中でも特別な存在になり得るということです。
あと、経営者が居ないコミュニティでは、「経営者」というものが特別な存在になるでしょう。
コミュニティと掛け算を上手く使うってことです。
こうして考えると、ブランディングってそんなに難しくないでしょう?
ただ、「経営者」「ピンク髪」「フィリピンに住んだことがある」、「空道(大道塾)の黒帯」の僕は、一体誰の特別な存在になれているかという点については、未だ不明です・・・
著者/市川 厚(いちかわ あつし)
株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/
LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/
<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。