このコンテンツについて
なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。
「ホワイトが過ぎると、それも不満になっちゃう人たち」
うちの会社は平和な村みたいだ。
仲良しカテゴリーから抜け出て発展しないといけない。
・・・と弊社のマネージャーが言ってたんですよね。
いや、なかなか、言いたいこと言ってきますよねぇ。
経営者の中には「こんなマネージャーは嫌だ」って方も多いかもしれませんね(苦笑)
まぁ、確かに平和が過ぎると、いざこざが恋しくなりますよね・・・
平和って何も起こらない退屈な状況ですからね。
天敵が居ない草原で、草をむしゃむしゃ食べている羊とかみたいな感じで、このままずーっと一生こんな感じなんだろうなぁ、って思えてくるのかもしれません。
のどかで緊張感もない、馴れ合いの組織では発展も何もない!
NO PAIN NO GAINだ!ってことが言いたいのかもしれません。
フト思ったんですが、僕、そんな平和な村(会社)で仲がいい人っていないんですよね・・・(涙)
創業メンバーの社長とは、20年の付き合いになりますけど、プライベートで遊んだことはないですし。
誰ともしゃべること無く会社での一日を終えることも少なくないですからね・・・
まさか、僕だけ仲良しカテゴリーから外れているんだろか・・・(汗)
役員とは日頃からやり取りをよくしているので、一見すると仲良さそうに見えるかもしれません。
「分かるわぁ、それw」「いいね!」とかチャットでもやってますからね。
まぁ、確かに、これが続けば、馴れ合いのように見えるのかもしれません。平和です。
でも、実際のところ、そんなやり取りの裏には色々あるわけで・・・
この役員には何度噛みつかれて、腕を噛み切られそうになったことか(汗)
もうね、そういう点では、全く仲良くない。平和でもない。
彼女も僕のことを「(当時は)めちゃくちゃムカついた」って言ってたしw
ずーっと、何年もそんなことやってきて、やっと、共感とか肯定をし合えるようになってきたんですよね。
お互いの視座を変えたり、高さを意識したりして。
だから、メェ〜、メェ〜・・・じゃないのよ、全く。こっちは傷だらけよ。
平和な村に見えるかもしれないけど、随分凶暴なやつもいるもんです(汗)
ところで、プライベートでも社員同士の仲がいい会社か、終始ピリピリしている厳しく緊張感のある会社のどっちが伸びるんでしょうかね?
僕はどっちにも馴染めなさそうですけども・・・
昨今、各社ホワイト企業を目指して、環境改善に取り組んでいますよね。
でも、「ホワイト過ぎる企業」が増えて、新卒1〜3年目の若手社員にアンケートをとると、「現在の職場をゆるいと感じる」という人が3割を超えたそうです。
四人に一人が「上司から叱られた経験がない」という調査結果もあるのだとか。
あまりにホワイト過ぎて、ゆるすぎて、辞めちゃう社員さんもいるとか、いないとか。
「ブラック企業だ!」「ホワイト企業じゃないと嫌だ!」って色々文句言いながら、いざ環境が良くなると、不満を感じる・・・人間って、勝手な生き物ですよねw
まぁ、平和って退屈ですからね。
僕は超ブラックの野戦病院みたいにしたいんですけどね。
そこまでいくと文句言われるから、たまに小さな事件が起こる「平和な村」くらいがちょうど良いんですよ、きっと。
著者/市川 厚(いちかわ あつし)
株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/
LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/
<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。