好きなことや、得意なことを、仕事にしたい。
そう願う人はたくさんいる。
だがそれを実現出来ている人は、ほんの一握りだ。
ほとんどの人は、趣味や遊びの範囲で終わってしまう。
では、遊びと仕事の境い目には、一体何があるのだろう。
そして、どうすればその境い目を超え、
遊びを仕事にすることが出来るのだろうか。
仕事と遊びの違い。
それは、お金を稼げるかどうかである。
と、多くの人は考えている。
稼げるなら仕事。
稼げないなら遊び。
当然と言えば当然の判断である。
だが実は、重要なポイントはそこではない。
稼げるかどうかは、単なる結果に過ぎないからだ。
稼げなければ仕事とは言えないだろう、という指摘は、
確かに正しい。
だが、稼げていれば仕事である、という判断は、
あまりにも危険である。
稼げていたはずの仕事で稼げなくなった。
稼げるはずのない遊びで稼げてしまった。
それが現実に起きているのだ。
たとえば、盆栽を育てるという遊び。
その遊びを極めていけば、
盆栽を売って欲しいという人が現れる。
あるいは、育て方を教えて欲しいという人が現れる。
そうなれば盆栽という遊びは、
稼ぎを生み出す仕事となるかもしれない。
反対に、育てた盆栽を売るという仕事。
これは元々売ることを前提にした作業である。
ではもしも、その盆栽がひとつも売れなくなったら、
欲しいという人が現れなかったら、
それは仕事と言えるのだろうか。
稼ぎを生み出さなければ仕事ではない。
その基準から言えば、それは仕事とは言えない。
つまり、稼げなくなった時点で、
仕事は仕事ではなくなるのである。
そして、稼げるようになった時点で、遊びは仕事になる。
売れる盆栽と、売れない盆栽。
その結果を生み出しているものは、何なのだろうか。
セールス能力。
それも大事であるが、今のような時代には、
もっと重要な要素がある。
それは、こだわりである。
売る為のこだわりではなく、楽しむ為のこだわり。
たとえば、ゴルフや野球という遊びを、
思い浮かべてみて欲しい。
今やその遊びは、大きな稼ぎを生み出している。
プロになってプレーを見せる人。
道具を作って売る人。
野球場やゴルフ場を運営している人。
だがそれは最初から稼ぎを生み出していたわけではない。
とことん楽しむ為のこだわりが、
多くの人を巻き込んでいったのである。
ボールの大きさ、ピンまでの距離、ベースとベースの距離、
細かいルール、ペナルティーの内容、などなど。
それらは野球やゴルフを、より真剣に楽しむために、
作り上げられたものだ。
適当に遊んでいただけでは、
今のようなマーケットは出現しなかっただろう。
より完成度を高める為の、あと一歩へのこだわり。
その一歩が、遊びを仕事に変えてしまう境界線なのである。
こだわりのある遊びは、
こだわりのない仕事を、簡単に超えてしまう。
こだわりのない仕事は、
こだわりのある遊びに、駆逐されてしまう。
今はそういう時代なのだ。
稼ぎの境い目、そして稼ぎの本質を、
決して見誤ってはならない。
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