家族と、それ以外の人を、隔てているもの。
それは血の繋がりではない。
一緒に住んでいる、という物理的繋がりでもない。
血が繋がっていなくても、
小さい頃から兄弟のように一緒に育ったのなら、
それはもう家族である。
何十年一緒に暮らしていようとも、
会話ひとつないような夫婦は家族とは言えない。
家族には、家族だけが共有している「あるもの」が必要なのだ。
それは家という空間ではなく、一緒にいる時間でもなく、
共に語れる「物語」である。
一枚の写真や、使い古された玩具、
壁の落書きなどから思い起こされる、共通の物語。
楽しかった物語もあれば、辛く、苦しかった物語もあるだろう。
大事なのは物語の内容ではない。
一緒に作ってきた、家族だけが知っている物語。
その物語を語り合えること、その物語を共有していることが、
家族であることの証なのである。
もちろん、それは家族だけに留まるものではない。
何十年来の友との間には、
その友としか語り合えない、共通の物語がある。
故郷もまた同じである。
同郷の人間同士が心を許し合えるのは、
生まれた場所が近いからではない。
そこに住んでいた人しか知らない、
共通の物語を語り合えるからだ。
宗教や国家も同じ構造だ。
キリスト教には、
キリスト教徒が共有している物語(聖書)があるし、
イスラム教には、
イスラム教徒が共有している物語(コーラン)がある。
国家には歴史という物語があり、
どういう歴史(物語)を共有するかによって、
愛国心、国家観、国民意識は変化する。
では企業はどうか。
企業には理念やビジョンというものがあるが、
それは物語ではない。
理念やビジョンが無意味だとは言わない。
だがそのままでは、広がらないし、浸透もしない。
つまり、強い絆は生み出せない、ということである。
理念やビジョンは定義であって物語ではない。
それは教科書のようなものだ。
たとえば歴史の教科書を読んで、
織田信長や坂本龍馬のファンになる人がいるだろうか。
桶狭間の戦いでワクワクするのはなぜか。
龍馬の暗殺で絶望感を憶えるのはなぜか。
それは、彼らにまつわる物語を知っているからだ。
私たちが知っている物語は、歴史教科書には書かれていない。
それが書かれているのは、歴史小説である。
小説を読む。
あるいは、小説をベースにしたドラマを見る。
物語によって信長や龍馬の偉大さ、聡明さ、
かっこよさに共感し、好きになってしまう。
それこそが物語の持つ力なのだ。
強い共感を生み出す会社には、必ず何らかの物語がある。
創業の物語や、苦境を乗り切った物語、
あるいは、開発の裏側にあった物語など。
物語によって社員には強い愛社精神が生まれ、
顧客はその会社のファンになっていく。
強い組織をつくりあげたいのなら、
あるいは顧客との強い絆を生み出したいのなら、
その中心になる物語を手に入れなくてはならない。
伝え、広めるべきは、理念ではなく物語なのである。
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