その219「優秀な!?経営者の共通点」

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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

「優秀な!?経営者の共通点」

ついつい、口出し、手出ししたくなることありませんか?
仕事であれば、部下、後輩に「任せた」と言いながら、我慢できずについつい・・・みたいなね(苦笑)

この手のこと、記事にちょくちょく書きますが、実は結構な頻度で出会うんです。

これは、自社だけでなく、お客様側でも起こっていることを目にします。
お客様とのプロジェクトでは、責任者としてお客様側の管理職の方が任命されることが多いのです。
責任者の方が窓口となり、順調に進めていたある日、決済者(社長)から口出し、手出しが始まり、これまでのプロセスを無視したリクエストが入るようになり、責任者が苦しむことがあります。

不思議なことですが、口出し、手出しして、挙句の果てにちゃぶ台返しをしてしまう社長の中には、「うちは社員さんが全部やってくれてて、自分は何もしていないよぉ」とおっしゃる方も多いんです。
僕から見ると、「いやいや、全く任せてませんけど…(汗)」って感じですが。
そして、社員さんたちもそういう社長の性格を知っています。
責任者がこれまでの現場経験から、「Aの方が成果が出る」と確信を持っても、経営者が「Bが良い」と言ったら、絶対にAにはならないことを知っているのです。
その結果、
お客様にとって最適な選択(目標達成のための最適な選択)をしたらいいのか!?
それとも社長が気に入る選択をすべきなのか!?
と板挟みになって、悩むわけです。
まして事業の成果も問われているから尚更です。
社長不在のときに、あんなに生き生きしていた責任者の方が、「どうしましょう…ハァ…」とため息をつくことも少なくありません。

ところで、前述のような「任せると言いながら、全く任せない」経営者が率いる会社の方が上手くいっているようにも思います。
100億いかないくらいの規模の非上場企業だと、そういう経営者も多い印象です。
経営者の勘なのか、離してはいけない要みたいなところは絶対に離さずに執着しますね。
口出し、手出しの熱量がすごいです。
当然、品質が良くなるので、彼らが上手くいっている理由の一つなんだと思います。
でも、「私は何もやっていない」と必ず言いますねw
部分的にゴリゴリのトップダウンですが、「うちはボトムアップです♪」とおっしゃるわけです。
「全てをあなたが決めていますし、社員さんもいつもそうなるって知っていますよ」と伝えてあげたいですよ。

なるほど、委譲し過ぎた僕の会社がイマイチ伸び切らない理由がわかった気がしますね・・・

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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