その102 本末転倒なワーケーション

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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

本末転倒なワーケーション

以前、『ネーミングの威力』という記事で、ワーケーションの無料体験企画に当選したということを書きました。
ところが、まん延防止とかで、僕の住んでいる愛知県からは来れないよ、と連絡が来て、中止になりました!

実は、それを聞いて、正直なところ・・・
は!?ってなりました。

ワーケーションをトレンドにしようという動きの背景には、コロナ禍で外出自粛が叫ばれ、観光(宿泊業)が大きなダメージを負い、企業ではリモート勤務者が増えてきた・・・というものがありました。
そうした中、ホテルや旅館、民宿などの宿泊施設は「ワーケーション」という言葉を使い、新しいブランディングに取り組みはじめたわけです。
彼らのサイトにも「ワーケーションプラン」とかが出てきたりしてね。
主に、観光で成り立っていたエリア、例えば都市部から離れた自然豊かなエリア(いわゆる田舎)なんかは、その土地の魅力も生かして、静かな自然の中で気分転換しながら仕事をするタイプのワーケーションを推していたわけです。
海外からの観光客はおろか、県外からの観光客の誘致もままならない状況ですから、このワーケーションにはわらをもすがる思いがあったかもしれません。
実際、「企業の合宿にも対応しています」「自然の中でBBQもできます」「アクティビティも充実しているので、お子さんと一緒でも退屈しません」「周辺住民たちとのコミュニケーションも楽しいよ」とかって一生懸命発信していますから。

僕はと言えば、出身地の三重県が、県内の宿泊施設とメディア企業(出版系)と組んで、ワーケーションの取り組みをしていることに興味を持って、ワーケーションの体験企画に応募したという経緯がありました。
ところが、コロナのまん延防止で中止しますって・・・(苦笑)
いや、まぁ、各都道府県が決めたことに従うのはそうなんですが・・・
まん延防止の時期こそ、リモート勤務が求められるわけで、人の多い都市部から離れた田舎で仕事するって需要が高まるんじゃないのかな!?って思うんですけどね。
絶好の機会を失ってない!?一体何がしたいんだろう!?って、正直モヤモヤが止まりませんよ。

フト・・・「本末転倒」という言葉が浮かんだんです。
意味を調べると、「根本的な事柄とささいな事柄とを取り違えること」だそうです。
なるほど、コロナの対応についてはそれぞれに「根本的な事柄」と「ささいな事柄」があり、それらの違いが疑問や不満、ストレスを創るっているのかもしれませんね。
どちらが正しいとかはなくて、あらゆる利害関係もあるし、価値観の違いもあるし、しょうがないのかもね。

僕の「本末転倒」解釈では、「コロナ増えてきたからこそのワーケーションじゃん!都市部で働いている人たちを誘致しようとはじめた取り組みなのに、なんで来ちゃ駄目ってなるの!?」となるわけです。
「空気」を読めずにこんなこと言ってしまったり、こういうことが気になってしょうが無い人のことをアスペルガー症候群というのなら、僕はまさにアスペルガーですよ。
だって、中止のお知らせがメール(非同期コミュニケーション)で届いたので良かった!?ものの、これが電話だったら思わず色んなことを口にしていたからね・・・
思ったことをすぐに口に出しちゃったり、辻褄が合わないことがめちゃくちゃ気になって「こういうものだ」って割り切ることができないんですよねぇ。
まぁ、そんな面倒くさい人を体験企画で取材する側の気持ちを考えると、中止にしておいたほうが良かったかも知れませんけど・・・ピンク髪だし。

そのうち、このメディアのタイトルも『アスペルガーでコミュ障経営者のギモン』と変えないといけませんねぇ。
歳をとるたびに、ややこしい人になっている気がするの・・・(T_T)ウゥ…

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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