その234「楽しい人生をおくる方法に気づいてしまったかもしれない」

このコンテンツについて

なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

「楽しい人生をおくる方法に気づいてしまったかもしれない」

 

「楽しい」と感じるとき、人それぞれかもしれませんが、「楽しみ(楽しいと感じること/楽しいと期待すること)」がそこにあるわけですよね。
つまり、「楽しみ」を見つけることができたら、割と何でも楽しいと感じるのではないか!?
って、仮説がたつわけです。
当たり前かつ乱暴な仮説ですけど。
もうね、こんなことばっかり考えちゃって、暇なんでしょうか?
それとも病んでいるのでしょうか?・・・

さて・・・

「楽しみ」は人それぞれかもしれませんが、僕の場合、「初めてのこと」に楽しみを感じる傾向にあるようです。
一方、何度かやって、上達している物事については、「楽しみ」が薄れていくというタイプですね。
・・・まぁ、飽き性ってやつですかね。
逆のタイプの方もいらっしゃるでしょうね。
上達するほどに「楽しみ」を感じる、みたいな。

楽しいと思える時間を自分で創り出そうとした場合、自分が何に「楽しみ」を見言い出すタイプなのか?を知っておくって大事ですよね。
僕の場合、「初めてのこと」にある不確かさみたいなのが必要で、そこには若干の「不安」があります。
その不安を感じている状態に、僕は「楽しみ」を見出すタイプのようです。
例えば、「初めてのこと」であっても、オーストラリアに一人で行くのは、ざっくり英語圏に一人で行くということですから、初めて度合いは低いです。他にも英語圏に行ったことがありますしね。
楽しいけど、ワクワクはしません。
その理由は、僕にとって、「不安」が薄いからと考えられます。
一方、レンタカーを借りて、一人でオーストラリアの道を運転する、というのは明らかに「初めてのこと」であり、不安しかありません。
車の運転はもちろんできますが、ヨーロッパ発祥のラウンドアバウトという交差点は人生で初めてですし、駐車場のシステムなども良くわかりません。
そもそもレンタカーの借り方、返し方も良く分かっていませんしね。
いや、というか、英語も喋れません・・・涙
普通に考えたら、そこに楽しさを見いだせない人も多いでしょうが、僕にとっては楽しさがあり、楽しい状況ということになります。(不安ですけどね)

 

こんな風に、自分が何に「楽しみ」を見いだせるのかを理解していると、「楽しい」状況を自ら作り出すことはそう難しくはなさそうですよね?
1日の連続が人生ですから、これを意識して1日を送ってみると、人生が楽しくなってくるかもしれませんよ。

・・・ということに気付いたわけですが、僕の場合、「楽しい」と感じるためには、「不安」が必要になってくるので、楽しいの傍らには常に不安があるという奇妙な状況ができちゃいますけども・・・

 

 

著者の他の記事を見る

著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

感想・著者への質問はこちらから