人間交換日記 165通目「それは本心なのか」安田

人間交換日記
「すべての人は、すごい可能性を秘めている」と信じる大野と、「多くの人は目的などなくただ存在しているだけ」と断ずる安田。人間の本質とは何か。人は何のために生きているのか。300文字限定の交換日記による言論バトル。


165通目/安田からの返信 「それは本心なのか」

ねばならない=したいの裏返し。ということでしょうか。確かに「ねばならない」という言葉を使うとき「こういう自分になりたい」という気持ちが強い気がします。でも何となく、何かが違う気がする。それは無理しているかどうか。心がキラキラ輝いて、自然とエネルギーが湧き出すような「こうなりたい」ではなく、心が追い詰められて、無理やりエネルギーを絞り出す「こうならねば」になっている。もはや自分の意思ではなく「周りからの期待に答えねば」「周りの評価を覆さねば」というネバネバモチベーションになっている。それは自分の心が欲しているものなのか。本当にそうなりたいのか。なれるかどうかよりそっちの方が重要な気がします。

前回164通目/大野「なれるはずの人間になる事を妨げる状況」

安田さんへ

自由であらねばは最早自由で無いですからね。そして「ねばならない」を使っているだけで、よくよくしっかり見つめてみると、ちゃんと「したい」が隠れていたりもします。それを置き去りにしているだけの時も。何にせよ、過去がどうであれ、「したい」にチューニングして生きたいです。ここで重要になるのは、現状がどうであれ、それはこれまで学習してきた事を測るものであって、これから何を成し遂げるか?を測れるものではない。なぜなら、もし僕がコーチとして、例えば誰かの「したい」に対して、必要な資質がその誰かは欠けていると判断すれば、その誰かのなれるはずの人間になる事を妨げる状況を生み出す後押しをしていることになります。

ー大野より

前々回163通目/安田「ねばねばは嫌いです。が・・・」

大野さんへ

「ねばならない」という言葉は使わないほうがいい。ねばねば人生になるから。そう教えられたことがあります。そもそも私は学校のねばねばが大嫌いでした。勉強せねば、テストでいい点を取らねば、かけっこで早く走らねば。他人から何かを押し付けられるのが嫌。そういう子供だったのです。大人になって、自分で会社をつくって、自由へ一直線となるはずでした。でも気がついたらねばねばに囚われていたのです。会社を大きくせねば、もっと有名にならねば、社員にいいところを見せねば、と。自ら嵌まり込んだねばねばから抜け出すのは、他人の強要から抜け出すよりずっと難しい。ふと気がつくと今でも「〇〇せねば」と唱えている自分がいます。

ー安田佳生より

 

これまでのやり取り

交換日記をする二人



火曜日
安田佳生(やすだ よしお) 1965年生まれ、大阪府出身。 2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。
●金曜日
大野栄一(おおの えいいち) 株式会社一番大切なこと 代表取締役 https://ichibantaisetsunakoto. com https://www.sugoikaigi.jp/coach/eiichiono/

感想・著者への質問はこちらから