その55 一般人格付け選手権

人というものは格付けがだいすきです。

TVでもロングセラーの番組がありますし、
スポーツでは下手な優勝争いよりリーグの降格争いが盛り上がることがしばしばです。
エンタメ業界のみならず
身の回りでも成績にまつわる順位付け、クラスの一軍二軍、
はたまた表面化しないけれど
友だち、仲間、距離のある他人、誰が誰より上であったり下であったり、
そういった格付けランク付けは、シンプルながらいつの世も
とびきりの娯楽であり続けています。

それは誰にとっても
自分を含めたおのおのを評価しあうことで立ち位置を明確にし、
人間社会というものを理解するために必要な作業なのでしょう。

一方、できればそれに参加したくないひとも存在します。
やさしく穏やかに、自分を他人をあるがままに見て受け入れる、
そういったことができれば
わざわざ争いの臭いのする空間に入っていくことはないのだと。

たしかに、参加する「場」によってはそれが可能かもしれません。

仕事組織の中でも
誰がどういう肩書になったということに
アンテナを張り巡らしているタイプの人はひと昔前より減ったでしょうし、
出世を望まない人が増えているという話は
今にはじまったことではありません。
それは皆が無気力になったからでも諦観しているからでもなく
「時代的に、そうしていた方がラクになったから」
ということでしょう。

もめごとと距離を取り、身の回りにあるものを大切にする。
丁寧に暮らす。たとえば家庭菜園が自分だけの小さな幸せである、
といった生活を実現させた人は、
では菜園の作物の出来不出来はどうでもいいのでしょうか。
雑草があってもいいし肥料をやらずにろくに育たなくてもいいと思えるのでしょうか。
とどのつまり、
好きでない世界にかかずらうことなく、
好きな世界にだけこだわりたいということなのではないのでしょうか。

生活のための「場」が必要であるからには
そこが好きな世界であろうがなかろうが、
不本意な評価であっても誰かに点数をつけられるのはあたりまえですし、
逆にひとさまを値踏みすることも避けられないというのが
平凡な人間がたどり着く結論のひとつです。

ぶっちゃけ
ヒエラルキー世界も
勝ちまくりならそれはそれは居心地最高なのでしょう。

そういえば野球の世界大会、
あれ、われわれに関係あったんですかね……

 

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著者自己紹介

「ぐぐっても名前が出てこない人」、略してGGです。フツーのサラリーマン。キャリアもフツー。

リーマン20年のキャリアを3ヶ月分に集約し、フツーだけど濃度はまあまあすごいエッセンスをご提供するカリキュラム、「グッドゴーイング」を制作中です。

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