第2回 数千万円の宝石を持ち歩いた行商の日々

この対談について

母から受け継いだ指輪をネックレスに、片方なくしたピアスをペンダントに、思い出の詰まった2つのリングを溶かして1つに――。魔法のようにジュエリーを生まれ変わらせるジュエリー修理・リフォーム専門店「Refine」(リファイン)。代表の望月信吾さんに、お客様に感動を届けるジュエリーリフォームの魅力、そして波乱万丈な人生についてお聞きする対談企画です。

第2回 数千万円の宝石を持ち歩いた行商の日々

安田

今回も前回に引き続いて、望月さんが「Refine」を創業する前の話をお伺いしたいと思います。確か、お父さんの会社が倒産する1〜2年前までは、望月さん自身も宝石の入った鞄を持って行商していたんですよね?


望月

はい。まだ世の中の景気も良くて、父親の会社も勢いがあった頃ですね。

安田

当時は、今みたいにネット販売もないし、自宅から気軽に発送できる時代じゃない。だから全国のお店に実際の商品を持っていって、地道に営業するしかなかったわけですね。


望月

そうなんです。とはいえ、宝石ビジネスというのはこの令和の時代でもあまり変わっていなくて。同じデザインの宝飾品であっても、些細な傷や微妙な色の違いで大きく値段に差が出る。つまり現物を見て判断するしかないんです。

安田

ははぁ、なるほど。だからおいそれとネットで売買はできないわけだ。


望月

そういうことです。宝石店の社長や店長に鞄から出した現物を見せて「これは良いから買うよ」「石がイマイチだから要らない」「これ、もう少し安くならないの?」なんてやりとりをしながら、1つ1つ値段を決めるしかない。

安田

超アナログな商売ですね(笑)。


望月

そうなんですよ。機械で作ったチェーンみたいなもの以外は、基本的に現品判断なので。そういう意味では、今も昔も商売の方法はまるで変わっていないんです。

安田

なるほどねぇ。ちなみに、当時は総額いくらくらいの宝石を鞄に入れていたんですか?


望月

そうですねぇ、軽く数千万円分はありましたね。

安田

ええ! すごい額ですね(笑)。それをアタッシュケースかなんかに入れて持ち歩いているわけですか?


望月

旅行で使うようなキャリーケースを使っていましたね。旅行用のショルダーバッグのこともあったかな。

安田

え!? 銀行強盗するより業者さんを襲った方が早そうじゃないですか(笑)。


望月

仰るとおりで(笑)。実際、宝石商が襲われる事件がよく起こってましたから。特に宝石商の多い御徒町では。

安田

なんと! 保険なんかには入っていないんですか。


望月

もちろん入ってはいますし、我々も商品が盗まれたりしないよう注意はしてるんですけどね。ただ、やっぱり人間ですから、だんだん慣れてくるんですよ(笑)。

安田

ああ、なるほど。数千万円の商品を持ち歩いてることを忘れてしまう。


望月

そうそう。新幹線でふと眠ってしまって、起きたときには宝石がパンパンに入っているキャリーケースがなくなっていた、みたいな話も聞きました。

安田

あちゃあ(笑)。私だったら保険に入っているとはいえ、数千万円に相当する鞄を持ち歩いていたら、絶対に眠れそうにないですけど(笑)。ちなみに数千万円だと宝石何個分くらいなんですか。


望月

1アイテムの単価を10前後万円だとして、200、300個ですかね。

安田

すごいなぁ……。そんな鞄を持って全国を行脚しているわけですね。ちなみに宝石屋さんからはどう迎えられるんですか? 「よく来たよく来た」って歓迎される感じなんですか。


望月

景気が良かった頃はまさにそんな感じでしたね。「東京から来た卸業者」というだけでVIP待遇と言うか。当時は行くたびに接待してもらってました。

安田

へぇ。望月さんは営業が苦手だと言ってましたけど、そういう状況ならストレスなく商談ができそうですね。

望月

そうですね。というか、当時は「宝石を持って行きさえすれば売れる」っていう時代だったので、そもそも営業トークが必要なかったんですよね。でも間もなく景気が悪くなってくると……

安田

ああ、途端に「宝石なんて…」という感じになってくる。

望月

そうそう。以前あんなに大歓迎してくれていた宝石店の社長に連絡しても、「今はいらないよ」なんてピシャリと言われてしまって。逆に「前に仕入れたやつ、まだ残っているから返品させて」なんて言われてしまったりね。

安田

ははぁ、何とも世知辛い(笑)。ちなみに当時は支払いも現金だったんですか?

望月

当時は手形ですよね。お客さんの見込み仕入れということで、手形での取引が当たり前でした。

安田

手形! なんとも時代を感じますね。何日ぐらいの手形なんですか?

望月

お客さんによって変わりますが、長いと180日とか。

安田

ええ!? それは長過ぎませんか? そもそも180日分のキャッシュがないとできない商売ってことになっちゃいますよ。

望月

そうなんですよ。そういう意味でも、宝石業界はだいぶ特殊だと思いますね。中でも卸業は効率が悪い悪い……(笑)。

安田

でも、当時は儲かっていたわけでしょう? 景気が良かった頃は1回の営業でどのくらい売れていたんです?

望月

30年以上前のことですけど、1店舗で1枚伝票書くと100万~200万はざらでしたね。

安田

へぇ! 一件でそんなにいくんですね。利益率はどのくらいなんですか? 石も仕入れて、職人さんの加工費も含まれるから、原価の倍くらいは取らないと成り立ちませんよね。

望月

いやいや、実際はそこまで「うまい商売」ではないんですよ。卸業の粗利は15パーセント、良くて20パーセントぐらいです。

安田

えっ、そんなに少ないんですか? その割に手形商売というリスクもあるわけで、ちょっとしたトラブルで倒産の危機になりそうですけど。

望月

仰る通りです。不渡りなんか喰らうと一発アウトなんてこともあり得ます。

安田

なるほど…。お父さんの会社が倒産したのも、そういう経緯だったんですか?

望月

必ずしもそうではないのですが、不景気のあおりを受けて、という感じですね。

安田

私自身も会社を潰した人間なのでわかりますが、その時はなかなか大変だったでしょう?

望月

そうですねぇ、大変でしたね。当時は私ら家族含めて従業員も10名くらいいて、20数億の売上げもありましたから、債権者もたくさんいて……ビジネスだけの話で終わらなくてね。当然、「生きるか死ぬか」みたいな話になってくる。

安田

そうですよねぇ。他人同士でも揉めるんだから、身内なら尚更難しい。

望月

そうなんです。それに父親世代の人たちにとって、会社が倒産するって「自分の命が取られる」以上のことなんですよね。そこには想像できないくらいの苦痛や屈辱があって……

安田

お父さんの気持ち、よく分かります。

望月

ええ。親父にもプライドがありますから、母親がコツコツ貯めていたお金をつぎこんで立て直そうとしたんですけど。でも、宝石業界全体の景気がダメになっているから、全然うまくいかなくて。

安田

結果、貯金も使い果たして、すっからかんになってしまったと。

望月

仰るとおりです。在庫の宝石も借金のカタに全部持って行かれて、本当に何も残りませんでしたねぇ。

安田

なるほど、とにもかくにもお父様の事業はそこで終わったと。でもそう考えると、望月さんは別の道を選択することもできたわけでしょう? もともと務めていた証券業界に戻るとか、別の会社に勤めるとか。

望月

今言われてみれば仰る通りなんですが、当時の自分にはそういう発想がまったくなくて。

安田

それは、やっぱり宝石業界が好きだったからですか。仕事が面白かったとか。

望月

うーん、それしか生きていく術はないと思っていた、って感じですかね(笑)。それで兄と私と親戚1人を交えた3人で、地元業者の人に品物を借りながら、馴染みのお客さん相手に細々と商売を続けました。

安田

へぇ。その状態ではどれくらい続いたんですか?

望月

3年くらいですかね。当時、僕は結婚していて小さい子供もいたから本当にカツカツの生活でしたけど。

安田

ああ、既にお子さんもいらしたんですね。後から考えても仕方がないんでしょうが、証券会社で働いていた時の方が給料は良かったんじゃないんですか?

望月

ええ、恥ずかしながら仰るとおりです。あの頃はそれくらいお金がなくて。

安田

そういう状態で、お兄さんとはうまくやっていけたんですか? 人間、お金がなくなると余裕もなくなるものですけど。

望月

お察しの通り、余裕がなくなって大喧嘩になりまして。元々兄と僕は性格も仕事のスタイルも全然違っていたんです。で、結局喧嘩別れと言うか、僕が独立をせざるを得ない状況になって。

安田

なるほど。それで「Refine」の創業へと繋がっていくわけですね。次回以降、そのあたりをお聞きしたいと思います。

 


対談している二人

望月 信吾(もちづき しんご)
ジュエリー工房リファイン 代表

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25歳で証券会社を退社後、父親の経営する宝石の卸会社に入るが3年後に倒産。その後独立するもすぐに700万円の不渡り手形を受け路頭に迷う。一念発起して2009年に大塚にジュエリー工房リファインをオープンして現在3店舗を運営。<お客様の「大切価値」を尊重し、地元に密着したプロのサービスを提供したい>がモットー。この素晴らしい仕事に共感してくれる人とつながり仕事の輪を広げていきたいと現在パートナー募集中。

 


安田 佳生(やすだ よしお)
境目研究家

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1965年生まれ、大阪府出身。2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。安田佳生事務所、株式会社ブランドファーマーズ・インク(BFI)代表。

 


 

 

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