経営者のための映画講座 第23作目『台風クラブ』

このコラムについて

経営者諸氏、近頃、映画を観ていますか?なになに、忙しくてそれどころじゃない?おやおや、それはいけませんね。ならば、おひとつ、コラムでも。挑戦と挫折、成功と失敗、希望と絶望、金とSEX、友情と裏切り…。映画のなかでいくたびも描かれ、ビジネスの世界にも通ずるテーマを取り上げてご紹介します。著者は、元経営者で、現在は芸術系専門学校にて映像クラスの講師をつとめる映画人。公開は、毎週木曜日21時。夜のひとときを、読むロードショーでお愉しみください。

『台風クラブ』の三浦友和に見る復活劇。

相米慎二が監督した『台風クラブ』は1985年に公開された。バブル景気が始まる直前、豊田商事の会長が報道陣の目の前で刺殺される事件が起こり、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が公開され、コカ・コーラの味とロゴが変わった年だ。なんとなく日本中が高度経済成長の終わりを感じながら、倦んだ気配の中に建前よりも本音がグッと前に出てきたような、そんな時代だった気がする。

私立学校が生徒をお客様として扱いだし、公立学校の先生が「先生は聖職ではなく仕事だ」と声を発し始めた時代に、ワンカット長回しの名手と言われた相米慎二は『台風クラブ』という映画をつくった。

『台風クラブ』はまだ十代だった工藤夕貴が主演した学園ドラマだ。と言っても、若い希望が溢れる青春ものではなく、病んだ者や迷っている者が学校という一つの箱の中に放り込まれ、なにをどうすればいいのかわからなくなっているという色合いの映画だった。

舞台はある地方都市の中学校。受験を控えた3年生たちが主人公である。映画は彼らがそれぞれにケンカをしたり、ケガをさせてしまったり、家出をしたり、飲酒をしたり、ナンパされたり、襲われかけたり、といった若い日にありがちな出来事をひとつひとつ積み上げる。観客はそんな描写を見ているうちに、子どもたちだけではなく、大人も同じように明確な目標を見失っているという事実を突き付けられるのである。

そんな大人の代表として登場するのが三浦友和扮する中学教師だ。三浦友和はデビュー以来、山口百恵とともに爽やかな青年としてテレビやスクリーンで活躍し人気を博してきた。しかし、結婚し、年齢を重ねることで、その人気に陰りが見え始めていた。つまり、彼は演技のうまい役者とはみなされていなかったのだ。ところが、この『台風クラブ』で三浦友和は化けた。

この作品の三浦の役は適当にあしらってきた女から結婚を迫られても煮え切らない態度を示し、授業中にその女の母親やおじから生徒の前で脅されるという失態を演じる。つまり、初めての汚れ役だったのだ。それでも新境地を拓こうと頑張る三浦。その演技に満足しない相米慎二。そのやりとりは、テイク数を何十にも重ねたという。その時に相米は三浦に言ったそうだ。「三浦友和って感じだなあ」と。相米慎二は明らかにスターだった三浦友和にケンカを売ったのだろう。「あんた、もうそれじゃやっていけないんじゃないの」と。「少なくとも、俺の映画じゃ、そんな三浦友和は必要ないんだ」と。そして、三浦友和はその苦言を受け入れる勇気を持っていたの。

そして、生まれた『台風クラブ』は映画ファンに語り継がれる名作となった。工藤夕貴の出世作となったと同時に、生まれ変わった新生・三浦友和を見せつける映画となった。

例えば、会社のなかに倦んだ空気が充満し、方向転換が必要だと感じ始めたとき、主人公である中学3年生のように「はやく、台風来ないかなあ」と何かを待つだけではなにも変わらない。三浦友和が、耳の痛い声を聞き入れて生まれ変わったように、旧態依然とした価値を壊す覚悟と人の話を聞き入れる謙虚さが必要なのだろう。

著者について

植松 眞人(うえまつ まさと)
兵庫県生まれ。
大阪の映画学校で高林陽一、としおかたかおに師事。
宝塚、京都の撮影所で助監督を数年間。
25歳で広告の世界へ入り、広告制作会社勤務を経て、自ら広告・映像制作会社設立。25年以上に渡って経営に携わる。現在は母校ビジュアルアーツ専門学校で講師。映画監督、CMディレクターなど、多くの映像クリエーターを世に送り出す。
なら国際映画祭・学生部門『NARA-wave』選考委員。

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