泉一也の『日本人の取扱説明書』第14回「道の国」

道を極める世界を忘れてしまったスポーツでは、根性論とパワハラがはびこっている。自然の氣が中心にあるにもかかわらず、指導する側が「絶対神」になるからである。道の世界には絶対神など存在せず、ただ自然界の氣が存在し、我々と世界を生かしているだけである。なので、道には絶対的な「教義」はない。すでに存在する自然の氣を感知し、その氣と一つになって生きるという感性を磨くことだからである。

現代は、自然科学が発達したことで自然の力を利用し、素晴らしい技術的革命を起こしてきた。自然の氣を感じなくても、科学技術があることで我々は豊かに生きることができる。科学が発展したことで、残念ながら道は廃れてしまった。

過去に、理系の世界を極めた優秀な人材が、宗教の世界に取り込まれサリンを作り、人々を死に至らしめた大事件があった。日常の道の世界が廃れたことで、そことはかけ離れた宗教の世界に真理などといった答えを探し、絶対的教義に支配され、狂った世界が生まれたのだ。

道を極める場は「道場」である。この道場的なイメージで場をつくれば、道の世界は広がっていく。道場では場にいい氣を満たすために、活動の中で生まれた邪気を浄化するため、皆で掃除をして整理整頓する。そして、場に敬意を表し、その場で心を整え、氣を入れて事にのぞむ。静と動が陰と陽のごとく、折り重なっている。日本の工場でいい氣に満たされているところでは、この道場的な雰囲気をビンビンと感じる。

では職場はどうであろうか。道場的な氣に満ちているだろうか。売上利益絶対主義的な教義で、社員を押さえつけるような重い空氣になってないだろうか。場に敬意もなければ、雑然とした荒れた場になっていないだろうか。道場をイメージして場作りをすれば、そこは道を極めていく清々しい氣が満ちていく。

今の日本では漢字の気のように、構えの中は「〆」ている。つまり心を閉ざし、エネルギーを封印しているのだ。本来の氣は、「米」である。米は光とおなじく、エネルギーが解放し、輝いた状態を表す。つまり氣とは解放と輝きが内側から溢れてくるイメージなのだ。氣という言葉そのものが、道の世界の極意である。

 

著者情報

泉 一也

(株)場活堂 代表取締役。

1973年、兵庫県神戸市生まれ。
京都大学工学部土木工学科卒業。

「現場と実践」 にこだわりを持ち、300社以上の企業コーチングの経験から生み出された、人、組織が潜在的に持つやる気と能力を引き出す実践理論に東洋哲学(儒教、禅)、心理学、コーチング、教育学などを加えて『場活』として提唱。特にクライアントの現場に、『ガチンコ精神』で深く入り込み、人と組織の潜在的な力を引き出しながら組織全体の風土を変化させ、業績向上に導くことにこだわる。
趣味は、国内外の変人を発掘し、図鑑にすること。

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2件のコメントがあります

  1. 最高傑作!感動もんでした。
    世界を変えるのはイズやんやで!

    1. こゆたん、コメントありがとうございます。
      一緒に世界を変えていきまひょ。

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