第188回「日本劣等改造論(20)」

このコラムについて

日本でビジネスを行う。それは「日本人相手に物やサービスを売る」という事。日本人を知らずして、この国でのビジネスは成功しません。知ってそうで、みんな知らない、日本人のこと。歴史を読み解き、科学を駆使し、日本人とは何か?を私、泉一也が解き明かします。

 ― 死は白、生は黒(後編)―

「アホやなぁ」が褒め言葉。生=黒であるとそうなる。黒光る感じ。黒光りには厳しさと深い悲しみがあり、清廉潔白の真っ白けは、薄っぺらい。ネガポジを反転させて黒を基調にすると見え方が一氣に変わる。前編で解説したように、明治になってオセロの白黒が逆転したので、薄っぺらい日本になった。盤面の四隅を黒に変えてみよう。

「賛成の反対なのだ」この反転感がわかれば、日は西から昇り、東に日は沈む。賛成という白に対して、反対する黒。この逆転感が黒光りを生み出す。黒光りの美しさは、生きるチカラである。

子供の頃、泥団子を作ったが、太ももの外側で何度もこすっていると、徐々に泥団子の表面が黒く光り出し、きれいな球体になった。その美しさに惚れ惚れしながら、意気揚々と家に帰ったら、母親に「そんな汚い足で家に入らんといて!」とどやされ、風呂場に直行した。泥団子の黒光りは、腕や顔などいろいろ試したが、太ももの外側で磨くのがベストなので、やめろと言われても無理である。

黒光る感は、いぶし銀の職人的な技術にある。道を極めた職人の顔は、白ではなく黒。笑顔と喜びとは真逆の顔がそこにある。厳しさと悲しさが顔に深く刻まれた皺となって、味が出てくる。職人の一言一言に厳しさがあるが、そこには黒く静かに燃える炭火のようなあったかさがある。

炭を創り出す過程自体が黒。炭焼き職人は竈に向き合い、熱と煙の中で汗だくになりながら、顔を真っ黒にして炭を創り出す。その炭は、真っ黒なのにまっ透明に澄んでいる。浄化力が高いのだ。竈門炭治郎の純粋さのように。本当の黒とは、すべてを透明にしてくれる。そして炭がその役割を全うした時、真っ白な灰になる。そう、白は死を意味するのだ。

ここまで言えば、死は白、生は黒に、賛成!してくれただろう。その賛成に私はいつまでも反対したくなる。みんなが賛成してくれると、反対したくなる、この矛盾。賛同を求めているのに、賛成されると反対したくなる天の邪鬼。

天の邪鬼というのは、両極の感情を同時に持つということだが、両極の色を混ぜていくと、結局は黒になる。生は両極の感情を矛盾させて持った黒ということであり、死んで感情から解き放たれ光になると、混ぜると透明(白)になる。光の三原色である。

ここまで言えば、死は白、生は黒に、大賛成!してくれただろう。その大賛成に私はいつまでも大反対したくなる。

多数決で決まる氣持ち悪さを一度は感じたことがあるはず。周りにいい顔しようと、この氣持ち悪さを押し殺していくと、次第に麻痺をする。麻痺をすると薄っぺらなものしか生まれなくなる。自分の頭で考えることをやめ、全体主義の罠に陥る。

賛成に反対の精神。いぶし銀の黒光り感を出していきたい。

 

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著者情報

泉 一也

(株)場活堂 代表取締役。

1973年、兵庫県神戸市生まれ。
京都大学工学部土木工学科卒業。

「現場と実践」 にこだわりを持ち、300社以上の企業コーチングの経験から生み出された、人、組織が潜在的に持つやる気と能力を引き出す実践理論に東洋哲学(儒教、禅)、心理学、コーチング、教育学などを加えて『場活』として提唱。特にクライアントの現場に、『ガチンコ精神』で深く入り込み、人と組織の潜在的な力を引き出しながら組織全体の風土を変化させ、業績向上に導くことにこだわる。
趣味は、国内外の変人を発掘し、図鑑にすること。

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