第194回「日本劣等改造論(26)」

このコラムについて

日本でビジネスを行う。それは「日本人相手に物やサービスを売る」という事。日本人を知らずして、この国でのビジネスは成功しません。知ってそうで、みんな知らない、日本人のこと。歴史を読み解き、科学を駆使し、日本人とは何か?を私、泉一也が解き明かします。

 ― 寂しい日本人(後編)―

人は「寂しさ」=「歪んだ愛」を抱える生き物で、寂しさを忘れる行為に溺れてしまいがち。さらに日本人はアイデンティティが揺らいでいるので、困った寂しん坊になってはいやしないかと前編で話した。後編では、歪んだ愛から素直な愛に、少しでも美しく変態するように話を進めてみよう。

ところで、自分の母親の記憶がない人の気持ちがわかるだろうか。生まれてすぐに何らかの理由で母親と別れてしまった人の心の内である。私は子供の頃、オカンの金魚の糞といわれていたぐらいなので、全くわからないが、そのような人の話に耳を傾け、想像力を働かせ、追体験ができるようになって少しは分かった。

「めちゃくちゃお母ちゃんに会いたい」

この言葉しか出てこない。それぐらい、母というルーツは人にとって大切なものである。(父ちゃんに会いたい!はあまりないところが、オヤジとして寂しいところではあるが・・)

お母ちゃんはわかりやすいが、母国はわかりにくい。実体がないからだ。母国とは四季折々の自然、食べ物、伝統行事、物語、母語・・自分を守り、育ててくれている数多くの断片。日々全身で感じているが、人格のない抽象的な存在。実体はなく、母なる存在がつかめない。母に抱きつけない。だからといって母を知らないままだと寂しさに苦しむ。

「めちゃくちゃお母ちゃんに会いたい」つまり「めちゃくちゃお母ちゃんという実体が知りたい」という潜在的な思いを放ったらかしにすると、困った寂しん坊になる。お母ちゃんに会いたいを押し殺している子供は、人の氣を惹かんと心ない悪さをし、時に心を閉ざしてしまうだろう。日本人は寂しさという歪んだ愛が強いので、日本人どうしで、他者に愛を奪われる怖れ(嫉妬)、成功者への妬み、足の引っ張り合い、引きこもりが多発している。

これで、母国のルーツを知ることの大切さがわかったはずだ。日本国の子供である日本人としてのアイデンティティを心の中に持てば、歪んだ愛とその代償に人生の時間を費やさないでよくなる。

自分の中に「日本人としての寂しさ」を実感できただろうか。いや、多くの人はマヒしているだろう。2月11日が建国記念日ではなく、建国記念の日であることが全く気にならないように。こうしてマヒした日本人は、無意識に代償行為をする。仕事中毒に、ゲーム中毒に、SNS中毒に、スマホ中毒に、お金中毒に。寂しさをその時は忘れさせてくれる。それでも足りなければ、自己啓発をしてくれる怪しい輩の優良顧客にもなれる。

では、歪んだ愛から素直な愛に変態するにはどうしたらいいのか。それは「母を訪ねて三千里」をモデルにするのだ。母国を訪ねて三千里。日本をもっと学ぶ、知る、そして過去の先人たちの想いに、功績に、苦悩に触れる。子孫を想い生きた数多くの先人の心にふれるだろう。先人の心は、形を変えて、衣食住の文化に息づいている。日本語になり、和食になり、民話になり、伝統芸能になり。

三千里を旅しながら、断片をつなぎ合わせいくと、お母ちゃんの実体がつかめてくる。マルコが最後アルゼンチンでお母ちゃんに出会って、涙したように、そのお母ちゃんに思いっきり抱きついて、会いたかった!日本人に生んでくれてありがとう!と言ってみよう。困った寂しん坊から、素直な愛の人に変態していることだろう。

「さあ、出発だ。今、日が昇る。
かあさんのいる、あのお日様の元、はるかな北を目指せ」

 

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著者情報

泉 一也

(株)場活堂 代表取締役。

1973年、兵庫県神戸市生まれ。
京都大学工学部土木工学科卒業。

「現場と実践」 にこだわりを持ち、300社以上の企業コーチングの経験から生み出された、人、組織が潜在的に持つやる気と能力を引き出す実践理論に東洋哲学(儒教、禅)、心理学、コーチング、教育学などを加えて『場活』として提唱。特にクライアントの現場に、『ガチンコ精神』で深く入り込み、人と組織の潜在的な力を引き出しながら組織全体の風土を変化させ、業績向上に導くことにこだわる。
趣味は、国内外の変人を発掘し、図鑑にすること。

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