正社員という異形

終身雇用と年功序列が約束され、
ひとつの会社に忠誠を尽くして働く。
真面目に勤めてさえいれば、
いずれは自分の城(マイホーム)を
持つことができる。

大学を卒業するまで
しっかりと子供を育て上げ、
定年後は年金と退職金とで
悠々自適な老後生活を楽しむ。
これほど素晴らしい人生があろうか。
と、ほとんどすべての
国民が信じて生きてきた時代。

私はこれを否定しない。
彼らの頑張りがあったからこそ、
戦後の日本は豊かになれたのである。
しかも本人たちが喜んで
その人生に身を捧げたのだから、
誰も文句をいう筋合いなどない。

素晴らしい歴史の1ページである。
だがあくまでも1ページで
あることを忘れてはならない。
ページはめくり続けられる。
そして価値観は変化していく。

正しいとか正しくないとか、
そんな矮小な話をしているのではない。
江戸時代の三百年間においては、
ちょんまげも、参勤交代も、
普通のことだった。
だが今それを強要されたらどうだろう。

髪型はこれにせよ。
住むところはここにせよ。
家族の一部は東京23区に
住むことを義務づける。
東京で暮らす家族は定期的に入れ替えよ。
それにかかる莫大な資金は
すべて自分もちとする。
そんな理不尽なことを現代の私たちは
受け入れられるだろうか。

いや絶対に無理である。
今の私たちからしたら
到底納得のいかない生活。
それを当時の武家たちは
普通のこととしてやっていた。
その甲斐あって江戸三百年は
平穏に過ぎていったのである。
戦国の世に比べれば極楽だと
みんな感じていたかもしれない。

では現代の会社員はどうか。
決められた時間に、指定された場所に出社し、
言われた通りの作業をこなす。
転勤を命じられれば即準備を始め、
買ったばかりのマイホームから離れ、
馴染んだ学校から子供を転校させる。

何の疑問も持たず35年という
人生の黄金期のすべてを捧げ、
残されるのは老後の余暇と少しばかりのお金だけ。
べつに私は会社員をバカにしているわけではない。
ある世代における当たり前が、
別の世代においては異形に見えるということ。
それは自然なことなのである。

なぜそんな理不尽なことを我慢しているのか。
なぜそんなに家を欲しがるのか。
なぜそんなに正社員にこだわるのか。
次世代にはそれが理解できない。
なぜなら価値観が違うからである。
江戸時代を生きた私たちは認めなくてはならない。
時代はすでに明治になったのだということを。

 


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