泉一也の『日本人の取扱説明書』第77回「お堂の国」

泉一也の『日本人の取扱説明書』第77回「お堂の国」
著者:泉一也

このコラムについて

日本でビジネスを行う。それは「日本人相手に物やサービスを売る」という事。日本人を知らずして、この国でのビジネスは成功しません。知ってそうで、みんな知らない、日本人のこと。歴史を読み解き、科学を駆使し、日本人とは何か?を私、泉一也が解き明かします。

資生堂に任天堂に場活堂。和菓子なら風月堂に福壽堂。名前に堂のつく会社は素敵である。

「一堂に会す」は大勢が一つの場所に集まったという意味であるが、ただ人が集まったのではない。何かの意図が働きそこに人々が集結した感がある。

堂は「高い建物」の意味でしか今は使われていないが、本来は神に感謝と祈りを捧げる聖なる場を表す。だからお堂と丁寧語になる。そのお堂で人々が集まり結ばれるので「一堂に会す」には集結感があるのだ。

残念ながら今は堂が減って館ばかりになっている。公民館に図書館に映画館。館には来客や訪問がイメージされる。建物の印象が強く、そこに人々が集結する感はない。だから「お館」とはいわない。

学校では講堂が体育館にかわったように、堂でなく館ばかりの社会になった。そう、人の集結よりも建物に価値を見いだしているのだ。別の言葉で言うと「ご縁より現物」である。

会社は「会う社(やしろ)」といってお堂の意味と同じである。しかし今は業を企てる「企業」に変わり、現物を得るため、職業を得るための場と化した。

学校に講堂がなくなり、会社に社がなくなったことで、中心となる柱が消えかかっている。堂にも社にも、中心に支柱がある。その支柱は人の背骨と同じで、人が四つん這いから立ち上がって自立し、そして天とつながる象徴なのだ。諏訪神社の御柱がわかりやすく教えてくれる。

日本の支柱である十七条の憲法を作られた聖徳太子が祭られているお堂が奈良にある。八角堂(八角円堂)、別名は夢殿(ゆめどの)という。聖徳太子が難問を解決するときにこのお堂に籠もり、夢を通じて解決策を得たといわれている。お堂で人は心を整え天と通じるのだ。

学校ではいじめがあり、会社にはパワハラがあり、心を崩す人が多い理由がわかってきただろう。その通り!学校にも会社にもお堂がなくなったからだ。

 

>>次ページ「集結感を生み出す夢の世界」

感想・著者への質問はこちらから