このコンテンツについて
なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。
「マウントこそ最強のビジネスだ!ホームを創れ!」
マスタービジネスってなんだかんだすごいですよね。
要するに専門家が知識や技術を提供するビジネスなんですが。
専門家って聞くと、弁護士や医師のように資格が必要なものなのか?と思いがちですが、そうした職種に限ったものではありません。
ある分野において、他者よりも知識や技術において優れていれば成り立ちます。
例えば、友達の中でゴルフが上手い場合、友達の中ではゴルフの先生になれるってことです。
実際、ゴルフを始めようと検討している人って、まずは身近な友人に相談しませんか?
その友人がおすすめするクラブを買ったりしてね。
これがビジネスになるということです。
以前、『評論家になるくらいなら』にて、マウント取られ屋の可能性について!?触れましたが、このマスタービジネスではマウントをとるのがとにかく重要。
自分が得意な場所、ホームに誘い込めばマウントがとれますね。
例えば、僕は野球やサッカーにあまり興味がなくて、ほとんど知りません。
だから、僕みたいなのを相手に、野球でマウントをとることは容易です。
あるコンサルの方のホームのつくり方(マウントをとる準備)が興味深かったのご紹介しますね。
彼はコンサルティングサービスの一環で、海外のスーパーマーケットを視察するツアーを組んでいます。
海外のスーパーマーケット事情なんて、ほとんどの人のビジネスには直接関係ありませんから、僕らも消費者視点でしかスーパーマーケットを見ていません。
一方で、毎年視察しているその方は、海外のスーパーマーケットビジネスについて、容易にマウントを取れるわけです。
こういうホームを持っていると強いなぁ、って感心しました。
「何をホームにするか?」については、センスを問われるところかもしれませんね。
料理が好きで、特定のコミュニティでマウントがとれるのであれば、もしかすると料理教室ができるかもしれません。
動画編集が得意なら、動画編集を頼まれるかもしれません。
大きなビジネスにするには、心もとない技術や知識レベルでも、小さなコミュニティの中で、マウントが取れる範囲内でお小遣いを稼ぐことは可能かもしれません。
コミュニティサイズが大きくなれば、比例してビジネスサイズも大きくなるでしょうが、同じホームで更に優れた人、企業が競合として出てきますから要注意です。
適度なコミュニティサイズ(ビジネスサイズ)におさえておくこともポイントですね。
そんな風に相手、環境をコントロールしていけば、ホームも維持ができて、誰でもマスター(先生)になれそう!?
そう考えると、企業にも同じように、身の丈に合ったコミュニティがあり、企業それぞれにホームを持っていますね。
ところで、皆さんのホームは何ですか?
僕も「自分のホームは何か?」、自問してみたいと思います・・・
あれ!?・・・なんだろう・・・もしかして無・・・(涙)
著者/市川 厚(いちかわ あつし)
株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/
LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/
<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。