その170「評論家になるくらいなら・・・」

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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

「評論家になるくらいなら・・・」

会社でもプライベートでも、話を聞いたら、ちょっと否定的なリアクション、マウントを取るようなリアクションをしてくる人っていません?
僕の肌感覚では丁度、僕くらいのおっさん(40代や50代)に多い印象ですけども(汗)

例えば、会社内で何かを改善しようと、試行錯誤している様子を見て、「そのやり方はどうだろうか…」「以前居た会社では…」「一般的に言われているのは…」と、背景や改善のプロセスについて何も知らずにチクリと否定的な意見を口にする人。
まぁ、良いんですよ、意見を言うのは。
でも、かと言って、手伝うでもなく、口だけ挟んでいただけるのですw
もっともらしいこと、(本人的には)思慮深いことを言っているつもりなのかもしれませんが、改善に関わっている側(当事者たち)からすれば、傍観者に過ぎません。
さらに悲しいかな、現場でバリバリ改善している当事者たちからしたら、これが絶妙に的外れな意見だったりするんですよ(苦笑)
だから、「こっちが3周くらい前に終わらせている議論を持ち出して来てドヤるな!」と当事者の心の中では盛大に突っ込まれていますよ。
当事者たちは、評論家がいっちょ前に批評している間に、頭と手足を動かし、トライ・アンド・エラーを繰り返して、経験を積んでいるんです。
だから、行動の裏付けもない、何の失敗もしていない批評には白けちゃうんですよね。

ほれ、そこのおっさん!
あんた、白けられているで!

これに気付いちゃった、おっさん(僕)は涙目ですよ・・・
だって、いっちょ前に批評しちゃいますもん。評論家気取ってますもん。
あれ、結構、気持ちいいんですよねぇw
ところが、ドヤった意見が的外れだったなんてねぇ・・・
キメキメにおしゃれしているけど、ズボンにおしっこのシミが付いているくらいヤバいですよね。
あぁ、恥ずかしい。

男って勝ち負け、序列みたいなのを気にする傾向にあるので、常にマウント取りたがるんですよ。
おっさんになるとそれが顕著でね、大して無い経験と、無駄に食った歳でマウントを取ろうとしてきますからね。
いやぁ、見苦しいですね。

もう、僕、こういうの止めます(涙)

となると・・・40代以降は、「マウント取られおじさん」が良いんじゃないでしょうかね?
「いやぁ、君たちすごいわ!そんなの浮かばないわ。手伝えることあったらやるから言って!」みたいなね。
無能を演じるというか、記憶力も体力も段々と落ちてきて、現場のことも分からなくなってきて、明らかに無能ですからね。
いっそのことそれを認めて、白旗を上げるんです!
どうせ実力でマウントを取られるんだから、自ら下になって、「取らせてあげている」と言える状況にしておくわけです。
しょうもないプライドにしがみつきましょうw

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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