その206「三つ子の魂百までの呪い」

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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

「三つ子の魂百までの呪い」

以前、『評価されたいくせに、評価されると受け取らない面倒くさい人たち』という記事を書きましたが、そういう人を観察していると、「隣の芝がよく見える」傾向があることに気付きました。
なぜだろう?と考えて、彼らを観察していると、自分が属するコミュニティ(会社や趣味のサークル、家庭など)は、ある意味自分自身でもあるので、どんなに素晴らしくても認めらないということに気付きました。
例えば、福利厚生が充実している企業ランキング上位の会社に勤めていたとしても、他社の方がよく思える点を探しては、「他社の働く環境への取り組みはすごい。一方、うちは全然ダメ。」のようになります。
どんなに良い旦那さん/奥さんと幸せな家庭を築いたとしても、「他所は◯◯なのに、うちは…」となるわけです(涙)
永遠に満足しない、こじらせまくった人たちですね。←あぁ、面倒くさい・・・
一体、彼らの過去に何があったのでしょうか(汗)

人事担当者と話をしていると、「こういうのは“三つ子の魂百まで”なのでね」と言っていました。
社会人になっても、なかなか変わることができないってことですね。
子供の頃に得た経験(トラウマのようなものも含めて)がその人の潜在意識を形成し、成長してなお、その潜在意識に行動をコントロールされちゃっています。
無意識ですから、真剣に内観でもしない限り気付きもしませんしね。

 

さて、潜在意識といえば・・・
僕は深い海に異常な恐怖をおぼえるのですが、それはスティーブン・スピルバーグの映画『JAWS』のせいです。
子供の頃、TVで観て、海にはこんな化け物がいるのか!?と震えあがって以来、海の底からこういう化け物が来るんじゃないか!?って怖くなってきて・・・
それ以来、海でも、池でも、川でも底が見えない深い場所には怖くていけなくなりました。
初めてスキューバダイビングをやったとき、過呼吸になって潜れませんでした・・・
全部、『JAWS』のせいです。
僕がアメリカ人だったら関係各社を訴えているところですよ。
ただ、「深い水が怖くてしょうがない」という潜在意識を創った原因が、『JAWS』と分かっているので、少しずつ改善はしていますけどね。
考えてみれば、“三つ子の魂百まで”って、恐ろしい呪いですよ。
その呪いがために、「評価を受け取れず、自分(自分が属するコミュニティ)を否定し続ける」という人生を選択しているわけですからね。

たまに「息子はどんな潜在意識を形成したのだろうか?」って気になります。
ちなみに、三つ子の頃、彼はフィリピンに住んでいました。
英語もタガログ語も理解していたその頃の記憶もドンドン無くなっていますが・・・きっと何かしらの潜在意識は形成されているのでしょう。
覗き見てみたいものですね。

ところで、成功者に共通する潜在意識ってありそうですよね。
そうした潜在意識を意図的に設計することができたら、成功確率が上がるのでは!?
「成功者になるための“三つ子の魂”の創り方、教えます!」みたいなね。
まぁ、そんな露骨じゃないにしても、幼児教育の方法論みたいなのはたくさんありますよね。
それなら、「“三つ子の魂”の呪いを簡単に解除する方法」があったらいいですよね。
本人に自覚はないから、呪いの解除には行かないでしょうね(苦笑)
まぁ、だから、そんな人は無理やりセミナーに行かされるでしょうけどねw

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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