その130 神経質と無神経

昔、あるタレントさんがブレイクしているとき、
(タレントさんは必ずそうしているように)
いくつかの「キャラ」を打ち出していたのですが、
その方の場合、「潔癖症」と「愛犬家」がありました。

ペットというのは人の基準では
ある程度「不潔」なことは当たり前のことなので、
それについて当時
「潔癖症なのにペット好きっておかしくない?」
という世間側からのツッコミも見かけたものです。

ですが、
人によって多少の感じ方の違いはあるかもしれませんが
現代人にとってペットは家族同然といえますから、
家族の体臭におたがい慣れきっているように
ペットも「自分ちの子」についてまったく気にならないのは自然なことです。

そこで、「潔癖症なのに変だ」という見方をされるのは、
おそらく「自分ちの子」というところに問題があるのです。

よその家のペットは清潔感が気になる(だろう)けど
自分ちの子であればオッケー、という、
ダブルスタンダードが
はたから見るものに違和感を覚えさせるのです。

潔癖症でなくとも、同じようなパターンは、
日常のいろんなところでけっこう見かけるように思います。

典型的なのは、「神経質な方」の立ち振る舞いです。

対話をしているとき、譲れないところや意思を発揮する点が
第三者からすると「ムダに細かいな……」と思われることが多い方、
しかしその方の身になって想像してみれば
大抵はそれなりの理屈が通っているもので、
まったくの我儘や言いがかりであることは少ないものです。

前述の例と同じく、
そこでどうしても相対する側がモヤっとしてしまうのは、
たとえ自分がその方の側に立って想像して
一定の理解を示したとしても、
その逆はまず起こることがないからです。

その方の持っている感受性、繊細さ、ナイーブさは
自分の中に集中的に向けられており、
だからこそ気になるところが解決されないことを許せず、
同時に、他人の立場に立ってみるという
余計な洞察に充てられることはないのです。

このように、自分のコダワリを貫くけれど
他人の同じものは気にしないというような行為は
(批判的に)「無神経」「身勝手」などといわれるわけですが、
自分の関心が自分にフォーカスしていて
その分他人には向いていない相関関係からすると、至極当然のことなのです。

「神経質なのに無神経」ではなく、
「神経質だから無神経」
なのです。

 

 

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著者自己紹介

「ぐぐっても名前が出てこない人」、略してGGです。フツーのサラリーマン。キャリアもフツー。

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