人間交換日記 114通目「無限大とも言えるし、ちっぽけとも言える」大野

人間交換日記

「すべての人は、すごい可能性を秘めている」と信じる大野と、「多くの人は目的などなくただ存在しているだけ」と断ずる安田。人間の本質とは何か。人は何のために生きているのか。300文字限定の交換日記による言論バトル。


114通目/大野からの返信
「無限大とも言えるし、ちっぽけとも言える」

自分を大切にする。それが意味する所は、他の人にも当然ながら自分があるのだから、「他の人の自分」を大切にし、尊重するところまで含まれているという事です。もしも、それができなければ自分を大切にするってことができていないことになる。逆説ですが、誰も見ていない所できちんとお仕事ができれば、誰かが見ている所できちんとやるでしょう。同じように他の人の器を大切にできれば自ずと自分の器は磨かれ大きくなる。大我、小我とはよく言ったものです。エゴは捨てられない。でも質は変えられる。エゴが悪いわけでもない。誰にも同じものがある事を忘れなければ。だから器は無限大とも言えるし、ちっぽけとも言える。

前回113通目/安田「器を見失わないこと」

大野さんへ

空っぽの器のほうが打てば響く。たくさんのものが入る。その通りだと思います。問題はどこまでが器なのか自分でわからなくなっていること。入っているものが器と一体化しているケースは多々あります。出してしまえばいいのに。捨ててしまえばいいのに。それができない。それは自分の一部であると錯覚してしまっているケース。たとえば自分の家とか。学歴とか。会社でのポジションとか。もうひとつは器すら自分ではないと否定してしまうケース。どこまでが自分かわからないので器まで捨てようとしてしまう。器を壊してしまう。最悪なのは器を壊しながら中身だけを大事に抱えている状態。こうなったら人は虚無感に支配されてしまいます。

ー安田佳生より

 

前々回112通目/大野「空っぽの器の方が打てばよく響く」

安田さんへ

目から鱗です。特に好きな方法で成果を出すやり方を編み出す。これはまさに大切な観点とアプローチです。作家の本田健さん曰く、好きなことは「する」「書く」「人に話す」「グッズにする」「売る」「広める」「教える」「組み合わせる」「好きなことをやっている人をプロデュースする」「好きなことをやっている人にサービスを提供する」というように展開できると提案されています。話は少しだけ変わりますが、空っぽの器の方が打てばよく響く。才能もそれに近い。自分自身が空っぽになったとき、あるいは、空っぽである自分自身を受け入れたとき、自己という最高のリソースと才能が手を合わせる、そんな気がしてならないんです。

ー大野より

 

これまでのやり取り

交換日記をする二人



火曜日
安田佳生(やすだ よしお)

1965年生まれ、大阪府出身。
2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。

●金曜日
大野栄一(おおの えいいち)
株式会社一番大切なこと 代表取締役
https://ichibantaisetsunakoto.com/
https://www.sugoikaigi.jp/coach/eiichiono/

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