その59 スタディのアプリ

個人的なことで恐縮なのですが、
最近ちょっと英語を勉強しております。
海外で生活する見込みも仕事で使用する予定もないのですが。

わたくしが所属している会社で
英語学習アプリを契約していて、
英会話とかが付随しない自習のコースであれば、
希望するだけで受けられたのではじめてみたのですが、
なかなかにおもしろいです。

わたくしの世代ですと
どうしても英語学習といえば大学受験がセットになってしまうので、
良くも悪くもそのときの体験がベースになります。

都心の町の駅前一帯に〇〇号館とかかれたビルが立ち並ぶ、
大手予備校がドミネートした風景、
大量の予備校生、養鶏場のような人口密度の教室、
平日昼間に周辺で紫煙を漂わせる浪人生たち…

肝心のコンテンツたる、教材も授業も
「日本国受験英語」
とでもいうべき独特のジャンルを感じさせる
英語であって英語でないような何か、でありました。
ひとことで言うと
それを一生続けても決して英語を使えるようにはならないものでした。

ですが、当時はそれで良かったのです。

わたくしたちが取り組んでいたのは
同世代と競争するための競技ルールのひとつの
「日本国受験英語」であり、
真に英語を学びたければ競技が終わったあとに自分で選択するなりして、
深めていけばいいのですから。

まあ、ついそんな頃を思い出して
遠い目をしてしまうほどの時間が流れて現代の教材を見てみると、
単語、文法、講義動画、学習法にいたるまで、
スマホから洗練されたあらゆる情報とサポートが得られるようになっています。

一例を挙げると
単語は一対一の機械的な意味の対応ではなく、
言葉のもとにある語源、イメージを押さえるのだ、
という意図をもって構成されています。

とにかく丸覚えしろ、ではなく
物事の背景から全体像をつかむことがより質の高い理解であり、
たとえ教える者と教わる者の関係があっても
それは人間の上下を示すものにはならない。
教育を通じて学力を伸ばすことがコミュニケーションの目的であり、
双方にとって共通の成果である。

なんだか今日びのちゃんとした会社の新人教育のようです。

そして、かようなイケてるアプリ教材に
「今日は〇分やりましたよ、がんばりましたね!」などと
褒めて伸ばす系の接し方を日々受けていると、
なんだかいつの日か英語ができるようになるかもしれないと
夢想してしまったりするのです。

英語をできるようになるためにやるという動機が感覚的に成立しないと、
もうなんのために英語をやるのかわかりませんな。

 

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著者自己紹介

「ぐぐっても名前が出てこない人」、略してGGです。フツーのサラリーマン。キャリアもフツー。

リーマン20年のキャリアを3ヶ月分に集約し、フツーだけど濃度はまあまあすごいエッセンスをご提供するカリキュラム、「グッドゴーイング」を制作中です。

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