その175「『お金って何なのか?』とお金持ち経験ゼロの僕が考えることに意味はあるのか」

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なぜこんなツマラナイものにこだわるのだろう。そういう「ちょっと変わった人」っていますよね。市川さんはまさにそういう人。でもそういう人が今の時代にはとても大事。なぜなら一見ビジネスになんの関係もなさそうな、絶対にお金にならなそうなものが、価値を生み出す時代だから。凝り固まった自分の頭をほぐすために、ぜひ一度(騙されたと思って)市川ワールドへ足を踏み入れてみてください。

「『お金って何なのか?』とお金持ち経験ゼロの僕が考えることに意味はあるのか」

経営の師匠にあたる方が、「お金ってなんだろう?」みたいな内容をメルマガで配信していた。

僕は「お金は選択肢を広げてくれるもの」というくらいに考えていたし、実際そうだと思っていた。
飛行機の移動は主にLCCの僕に余裕があれば、ビジネスクラスに乗るという選択肢だって選べるわけです。(マイルなどは使わず、現金でね)

さて、その師匠は一戸建てくらいの大きさの研修施設を建設中なのですが、そこは色んなこだわりが詰まっています。
こだわりというか・・・奇妙なものばかりでw
外壁はパリ在住の日本人アーティストがペイントして、楳図かずお邸を超える派手さになっているし、室内には金色に輝く小部屋があったり、廊下は洞窟のようになっていて真っ暗・・・
まぁ、テーマパークにありそうな建物ですよ。

僕も少しだけお手伝いしているのですが、師匠からは何度も何度も、「AとB、どっちがいい?」「◯◯はどうしよう?」「ここ大きさ、どう思う?」のようなLINEが何の脈絡も無く唐突に飛んできました。しかも、大体は22時以降(苦笑)
こんな風に、かなり細かな部分まで、その師匠ご自身が関わって判断を重ねていました。

それで、師匠は「現金で10億以上あったとして、ここまで考えきって作ったろうか?細部までこだわれただろうか?」と考えたそうです。
結論は、「きっとそこまでやっていなかった」「趣味の範囲内(自分の好みの範囲内)で楽しんでいたろう」とおっしゃるのです。

なるほど、確かにそうかも・・・
となると、僕の考え、「お金は選択肢を広げてくれるもの」というのも一概にそうとは言えなくなるなぁ、と。
師匠の例で考えてみると、お金があれば「アーティストを起用する」「洞窟を作る」という選択肢を選べる余裕はあるでしょうし、世界的なアーティストを起用したり、高価な建材を選んで建てられたかもしれません。
けど、そもそもお金がめちゃくちゃあったら、そういう発想には至っていないんじゃない!?、と。
お金が無いことで創意工夫、試行錯誤する必要が出てくるわけで、思わぬ選択肢が創造されるでしょうし、そんな風にして選択肢が広がっていきます。
お金があることで「選択肢を選べる余裕の有無」が生まれますが、一方でお金があることで「選択肢の創造性」は失われる可能性もあるということですね。
だから、お金がある人に対して、選択肢を提供するというビジネスが成立しているわけです。

ただ、悲しいかな、お金持ち経験が無い僕がどんなに考えたところで、お金持ちの気持ちは全くわからないんですよね。

イーロン・マスクとか、そもそもペイパル創業以前にも、自身が設立に関わった企業を売却していて、すでにお金持ちになっていました。その後、ペイパル作って売却して、大金持ちになって、未だに働き続けていますからね。
総合格闘家のコナー・マクレガーもすでに十分過ぎる収入を得ていますが、試合に出て、足をボッキリ曲がるほどの骨折をして、さらに復帰して戦おうとしています。戦う理由は何?って感じですよね。

・・・何なんでしょうかね、お金って。
一つわかったのは、やっぱり僕は「お金が欲しい」ってことですね。
理由?LCCじゃない選択肢があるのに選べないからですよ(涙)

 

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著者/市川 厚(いちかわ あつし)

株式会社ライオンハート 代表取締役会長
https://www.lionheart.co.jp/

LH&creatives Inc.(フィリピン法人) CEO
https://lionheart.asia/

<経歴>
三重県の陶芸家の家に生まれる。
(僕が継がなかったので、父の代で終焉を迎えることになる…)
大学時代、遅めの中二病を発症。経済学部に入ったのに、何を思ったか「ファッションデザイナーになるんや!」と思い立ち、大学を中退。アパレル企業に就職。
ところが、現実は甘くなく、全く使えない僕に業を煮やした社長から、「Webサイト作れないとクビだからな!」と言われ、泣く(T_T)パソコンの電源の付け方も知らなかったけど、気合でWebサイト制作を習得。しかし、実際のところは、言い訳ばかりで全く成長できず・・・怒られて、毎日泣く(T_T)そんな頃、「デザインにも色々ある」と改めて気づいて、広告業界へ転職、広告制作会社のデザイナーとしてのキャリアをスタート。
「今度は言い訳をしない!」と決めて仕事に没頭し、四六時中仕事していたら、黒目がめくれ上がってきて、眼科医から「失明するよ」と言われ、ビビる。2004年勤務先で出会った同僚や友人を誘って起業、有限会社ライオンハートを設立(現 株式会社ライオンハート)。ところが、創業メンバーとあっさり分裂、人間不信に。残ったメンバーと再スタート。
2014年、設立10周年を機に、創業メンバーで唯一残っていた人間を日本法人の社長にし、自身は会長になり動きやすい状態を創る。この頃からブランディングエージェンシーを名乗り始める。
2016年、フィリピン(マニラ)にITアウトソーシング企業(LH&creatives Inc.)を設立。設立準備期間から家族とともに移り住み、フィリピンで3年半を過ごす。
フィリピン人マネジメントを通して、猜疑心の塊になり、性悪説に変わる。
2019年6月、日本に帰国し、日本法人のマネジメントに復帰。社内コミュニケーションを充実させるために席替えしたり、誰も掃除しない椅子をきれいにしたり、「眠いときはしゃべった方が良いよねッ」ってスタッフに話しかけながら仕事をするなど、独自のインナー・ブランディングの理論を実験していたところ、会社の調子が上がった。そもそもブランディングってなんだ?と思っていたところに、BFIの安田さんと出会い、勝手にご縁を感じてコンサルを受けてみる。そしたら安田さんに誘われ、2020年、anote konoteに参加することに。

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