第38回 元不良少女は、母と先生のおかげで立ち直る

この対談について

「日本一高いポスティング代行サービス」を謳う日本ポスティングセンター。依頼が殺到するこのビジネスを作り上げたのは、壮絶な幼少期を過ごし、15歳でママになった中辻麗(なかつじ・うらら)。その実業家ストーリーに安田佳生が迫ります。

第38回 元不良少女は、母と先生のおかげで立ち直る

安田

私の経営者仲間には、「昔はやんちゃをしていた」とか「暴走族のリーダーをしていた」とかいう人がわりといるんです。そうやって社会で成功した元不良がいる一方、大人になってもただ落ちていくだけの元不良もいるわけで。その違いってなんなんでしょうかね。元不良少女の中辻さんは、どう思われますか(笑)。


中辻

あはは(笑)。そうですねぇ、何が違うのかなぁ……難しいですね。

安田

というか本当に不良だったんですか? 今の中辻さんの様子を見ていると、いまいち想像できないんですが。


中辻

はい、めっちゃ不良でした(笑)。当時は常にイライラしていて、街を歩いていて少しでも肩が当たったりしたら「当たったんやけど?」って感じでイチャモンつけてました。で、相手も同年代だから「はぁ? やんのか?」みたいな(笑)。

安田

ビーバップハイスクールの世界じゃないですか(笑)。殴ったり蹴ったり、みたいなこともしていたんですか。


中辻

ええ、お恥ずかしながら。髪を引っ張ったり、掴みかかって制服のボタンが飛んだり、シャツが破れたり。あとは厚底靴で攻撃したり……。

安田

絵に描いたような不良じゃないですか(笑)。じゃあ当然、学校の先生にも反抗していましたか。


中辻

はい、学校にもすごく迷惑かけてましたね。ガラスは割るし備品は壊すし暴言は吐くし、先生と取っ組み合いの喧嘩はするし。

安田

へ〜、意外だなぁ。それは中学生の頃ですか?


中辻

いえ、小学5年生の頃です。あまりにも問題児すぎたので、母が校長先生から「はっきり言って、もう学校には来ていただきたくないです」と言われたほどでした。小学校って義務教育なのに(笑)。

安田

そもそもなぜそんなに荒れてしまっていたんでしょうか。やはり家庭環境が原因ですか。


中辻

そうですね。以前にもお話しましたが、父の暴力が怖すぎて家に帰りたくなかったんですよ。かといって、学校も面白いことがない。だから不良仲間とたむろしていました。

安田

中辻さんのことを気にかけてくれる大人がいなかったんですね。


中辻

ええ。そういう寂しさを埋めるために、荒れていたんだと思います。あ、でも何の自慢にもならないんですけど、クスリとか無免許運転とか、そういう危ない事には一切手は出さなかったんですよ!

安田

ちゃんとルールは守る不良だったんですね(笑)。でもそうか。今もメルセデスに乗っているのに、しっかり制限速度は守っていますもんね(笑)。


中辻

笑。喧嘩して人を傷つけている時点で最低なのは変わりませんが。でも母が私のことを大切に思ってくれていることは感じていたので「自分を傷つけることだけはしない」と決めていたんです。

安田

ということは、中辻さんが不良時代から這い上がることができたのは、お母さんの存在が大きかったということですね。


中辻

そうですね。あとは中学3年生の時の担任の先生にも救われました。その先生、荒れている私に対して、「お願いだからもっと自分のことを大事にしてよ」と泣いて言ってくれたんですよね。

安田

中3といえば、先日のお話でもありましたが、お父さんに手の骨を折られてしまった時期じゃないですか。


中辻

そうですそうです。せっかく進学も考えて勉強をしていたのに、利き手を骨折したし、もう頑張る意味なんてない、と自暴自棄になっていた頃です。

安田

そんな状態の時に、自分のことを気にかけてくれた先生の存在は大きかったでしょうね。


中辻

ええ。当時の私は、「どうせ中辻には何を言っても無駄だ」ってほとんどの先生に放っておかれていたんです。でもその担任だけは真摯に向き合い続けてくださって。

安田

いい先生ですねぇ。


中辻

その後、妊娠して、つわりがひどくて入院していたので、結局、卒業式にも出られなかったんです。でも担任の先生はわざわざ病室まできて、私だけのために卒業式をしてくれましたからね。

安田

すごいなぁ。まるで金八先生のようなお話ですね!


中辻

笑。その辺りから「赤ちゃんもできたし改心しなきゃアカンな」と思い直して、生活も正していくようになりました。

安田

ついに不良を抜け出したわけですね。


中辻

そうです。社会からはみ出してしまうような子どもたちって、ほとんどの場合、家庭に問題を抱えているんです。要は、愛情が足りていない。

安田

なるほど。つまり「愛情を注いでくれる人がいるかどうか」で、不良から抜け出せるかどうかが決まってくると言えそうですね。


中辻

仰る通りです。「人は1人では生きていけないな」っていうのはすごく思います。心を通わせられるような大切な人を、たった1人でもいいから見つけたほうがいいですね。それは親でなくてもいい。友達、先生、恋人、誰でも良いんです。

安田

そういう周りの人の支えがあってこそ、立ち直れる。そういうことですか。


中辻
はい。自分にしっかりと向き合ってくれる人がいれば、その後の人生は絶対に変わってくると、私は思っています。

 


対談している二人

中辻 麗(なかつじ うらら)
株式会社MAMENOKI COMPANY 専務取締役

Twitter

1989年生まれ、大阪府泉大津市出身。12歳で不良の道を歩み始め、14歳から不登校になり15歳で長女を妊娠、出産。17歳で離婚しシングルマザーになる。2017年、株式会社ペイント王入社。チラシデザイン・広告の知識を活かして広告部門全般のディレクションを担当し、入社半年で広告効果を5倍に。その実績が認められ、2018年に広告(ポスティング)会社 (株)マメノキカンパニー設立に伴い専務取締役に就任。現在は【日本イチ高いポスティング代行サービス】のキャッチコピーで日本ポスティングセンターを運営。

安田 佳生(やすだ よしお)
境目研究家

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1965年生まれ、大阪府出身。2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。安田佳生事務所、株式会社ブランドファーマーズ・インク(BFI)代表。

 

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