泉一也の『日本人の取扱説明書』第127回「へりくだりの国」

泉一也の『日本人の取扱説明書』第127回「へりくだりの国」
著者:泉一也

このコラムについて

日本でビジネスを行う。それは「日本人相手に物やサービスを売る」という事。日本人を知らずして、この国でのビジネスは成功しません。知ってそうで、みんな知らない、日本人のこと。歴史を読み解き、科学を駆使し、日本人とは何か?を私、泉一也が解き明かします。

この度は、小生の拙いコラムを読んでいただき恐悦至極に存じます。

まだまだ若輩者の私が、読者様の大切なお時間のお邪魔をしていないかと恐縮しております。大所高所からの意見ではありますが、「読んでよかった」と感じていただけるコラムが書けるよう微力ながら精一杯務めさせていただきます。合わせてご指導ご鞭撻のほど、何卒よろしくお願いいたします。

日本人らしく謙遜してみたがどうだろう。ここまで感じていなくてもこういった謙遜をしなければならない「場」が日本にはたくさんある。通過儀礼としてハンコを押さなければならない書類がまだまだある ように、日本で謙遜は形式的に日常に存在する。

謙遜を通過儀礼の基本マナーとして身につけておけばいい話かもしれないが、なぜ謙遜が必要なのか考えてみたい。慣習は時に見直さないと、国民の95.7% がモバイル端末を持つIT全盛の時代になっても、 通過儀礼的にハンコを押し続けることになるからだ。

謙遜とはへり下ることである。へり下るとは相手より下の位置になること。下の位置とは上下関係での下である。では、上下関係とは何かというと「偉さ」の縦関係である。謙遜とは、へり下る言葉によって、進んで下のポジションを取り、相対的に相手を偉く(上に)し、相手をいい気分にするのだ。

「偉さ」とは裏を返すと敬服である。とすれば、謙遜とは「あなたを敬い服従していますよ」というメッセージになる。これで相手と争うこと、マウントを取り合うこと、攻撃されることを免れ、仲良くなれるというわけだ。

「あなたより私は下です」と直接的にメッセージを送ると卑屈さが伝わって逆に印象を悪くする。遠回しに伝えることで、美しさを出しているのだが、この婉曲的な表現が直接的コミュニケーションの文化の人にとっては「(?o?)」となる。

謙遜なんて遠回りで邪魔くせぇから、ぶっちゃけトークに変えちまえ、と言うと謙遜に美意識を感じている人は嫌がる。美意識とは価値観を伴った主観なので論争すると余計にこじれる。

話は飛ぶが、以前バレーボールを蹴るのはご法度であった。ボールを蹴ろうものなら「バレーボールはサッカーボールではない!」ときつく怒られた。今では、逆に「足で蹴ってでもボールを拾え」と言われる。美意識が逆転した例だが、これはルールが変わったことによる。

とすれば、ルールを変えればいい。日常のコミュニケーションもスポーツのようにルールを変えるのだ。例えば、役職名で呼ばず「さんづけ」で呼ぶことや、「ニックネーム」で呼び合うこと。それをスポーツ感覚で行う。チームメンバーと楽しく一生懸命に。最初は抵抗があるが、次第にそこに美意識が生まれてくる。バレーボールのプレイ中に足でボールを拾ったら「ナイス!」と仲間に言われるように。

「偉さ」による縦の上下関係で物事が動いた時代は終わる。権力や権威のご威光に群がるハエのような存在や、その威光で熱中症のように倒れる人をたくさん見て学習したからだ。

大切なのは慣習を変える「場」を作ること。 一人一人の美意識を大切にしながら、新しいルールを導入し、 そこで楽しく一生懸命な場を仲間と経験させること。 足が使えるようになってバレーがさらに面白くなったように。

こうして、新しい謙遜のスタイルが生まれさらに日本社会が面白くなるのでアールよ。

著者情報

泉 一也

(株)場活堂 代表取締役。

1973年、兵庫県神戸市生まれ。
京都大学工学部土木工学科卒業。

「現場と実践」 にこだわりを持ち、300社以上の企業コーチングの経験から生み出された、人、組織が潜在的に持つやる気と能力を引き出す実践理論に東洋哲学(儒教、禅)、心理学、コーチング、教育学などを加えて『場活』として提唱。特にクライアントの現場に、『ガチンコ精神』で深く入り込み、人と組織の潜在的な力を引き出しながら組織全体の風土を変化させ、業績向上に導くことにこだわる。
趣味は、国内外の変人を発掘し、図鑑にすること。

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