説得力の本質

この人の言葉には重みがある。
この人が言うと説得力がある。
それは決して肩書きだけが理由ではない。
現に総理大臣の言葉ですら説得力がないではないか。
説得力の本質はまったく別のところにあるのだ。

たとえば1+1=と入力すれば2と出てくる計算機。
それは普通の計算機である。
人間とは本来そこに価値を加える計算機だ。
自分の個性や価値観や体験を加味して
3とか4の答えを出す計算機。
その機能によって人類は
数々の文明を築いてきたのである。

だが現代人はその機能を使わなくなってしまった。
自分なりの答えではなく誰が見ても正しい答え。
それを暗記し続けた結果、
自分だけの答えが出せなくなってしまった。
人間らしさ、その人らしさは、
こうやって失われてきたのだ。

私は決して正しい答えを否定しているわけではない。
ピカソの歪んだ絵にしても
正しいデッサン力が基本である。
1+1=と入力すれば2と出力する。
これは生きていくための基本スキルだ。
入力するたびに違った答えが出てきては
人とコミュニケーションができない。

「1+1=2ですよね」
「はい、もちろん2です」
これがコミュニケーションの基本なのだ。
だがこれだけでは個性も付加価値も生まれない。
そして言葉に説得力も出ない。

そこで重要となるのがプロセスだ。
ちゃんと計算され出力された2なのか、
それとも単に暗記した2なのか。
人としての説得力や言葉の重みには
このプロセスが影響している。

右から聞いた話を左へ流すことは間違っていない。
コミュニケーションの基本は伝言ゲームだ。
正確に情報が伝わらないと集団生活はできない。
大事なのは言葉そのものではない。
説得力の本質はそこに至る思考回路にある。

人から聞いた話、検索で得た知識、
本で読んだノウハウを人に話す時、
きちんと自分の頭で咀嚼しているかどうか。
知識を元に思考を膨らませ、
いろんなアイデアを加味してみる。
そのほとんどは役に立たないアイデアだ。

結果、脳みそを素通りするのと
大差ないアウトプットが出てくる。
だがそれは同じように見えて
次元が異なるアウトプットなのである。
言うなれば、同じ場所を走っているように見えて
何十週も多く走っているランナー。

政治家の言葉が軽く感じるのは
受け取った原稿を読んでいるからではない。
脳みそで咀嚼されないまま発している言葉だからである。
素通りした言葉からは素通りした思考が透けて見える。

 

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1件のコメントがあります

  1. いつも含蓄があるコラム、楽しく読んでいます。
    言葉や顔色でその人の発言や行動の重さや説得性が分かる直観を大切にしたいと感じました。
    コラムありがとうございます。

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