その210 オッサンの説教離れ

たまに白髪の調子をととのえるために美容院に行っています。

担当してくれているスタイリストさんは今風のイケメン、もといビジュのいい青年です。
親子とまではいきませんが、甥と叔父くらいの年齢差なので、もっぱら彼がやってくれる施術やいま取り組んでいる美容技術の話をふんふんと聞いています。

ふとAIの話題になり、彼が

「千円カットの簡単な髪型とかならできるようになるかもしれませんね」

と言ったので、わたくしはつい、「職人仕事が代替されざるものとしてAI時代に脚光を浴びている」話をしたくなりました。

AIの波がまずはデスクワーカーの単純な文書作成やプログラミングの仕事を代替するようになりアメリカでは現場系の仕事がブルーカラーミリオネアとまで呼ばれていること、はやめておいてAI技術を駆使しても自動運転が意外にむずかしく何十年かしてもかなり限定された環境でしか社会実装できなさそう、
ということをいいました。

「あー、そうなんですね」

……うん。
まったく響いていませんでしたね。

わたくしとしては、彼のような仕事が価値を盛り返していることをなんとか表現したかったのですが、表現できたのは人間的なノリの違いだけでした。

とにかく、説教にならないうちに終わって良かったな、とは思いました。
(いや、それでもどこか説教くさかったのではないか)

コンプラに躾けられ、オッサンという属性が社会でどれだけ害悪であったかという歴史教育を正座して受けてきたこの10、15年でございます。

浜の真砂は尽きるとも、世に説教オッサンは尽きまじですが、大半のオッサンは素直に説教と取られそうな行動を控えるように変化していることでしょう。

それでいいのです。

一部のカリスマオッサン以外は、きしむ体を引きずって労働力と小金を提供し、そっと消えていけば……

と、これってアレにちょっと似ていますね。

おれたちが「クルマ離れ」「テレビ離れ」「〇〇離れ」なのは、社会からないがしろにされた結果、金がなく、可能性すら奪われつつある自分らの必然なのだ……とうそぶく若い弱者男性に。

 

 

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著者自己紹介

「ぐぐっても名前が出てこない人」、略してGGです。フツーのサラリーマン。キャリアもフツー。

リーマン20年のキャリアを3ヶ月分に集約し、フツーだけど濃度はまあまあすごいエッセンスをご提供するカリキュラム、「グッドゴーイング」を制作中です。

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