186通目「神の手足」大野

人間交換日記

「すべての人は、すごい可能性を秘めている」と信じる大野と、「多くの人は目的などなくただ存在しているだけ」と断ずる安田。人間の本質とは何か。人は何のために生きているのか。300文字限定の交換日記による言論バトル。


186通目/大野からの返信
「神の手足 」

「検索は、するな。」など、考え抜け!と言うスタンスで様々なベストセラー書を上梓されてきた、その安田さんがたどり着いたお考えですから、僕が字面だけ捉えて、分かります!とは安易に言えない気がします。だからこそもう少し、この背景にあるもののシェアをして頂きたいです。僕なりにレイヤーについて考えました。そして、そのレイヤーは人間が勝手にこれまたこしらえているように思う。人間はどんな状態に就いていようとも、結局、同じ仕事をしている。人間の心に奉仕するという仕事。どんな状態でも聖職にできる。つまり、どの状態も影響力に大きい小さいも上も下もない。問題はどういう影響を与えているか?そういう意味で神の手足。

前回185通目/安田「頭で考えることをやめる」

大野さんへ

自分の頭で考えろ。これは私の口癖であり、自分自身への強いメッセージでもあります。考えることをやめたら終わりだろ。それはもはや人間ではないだろ。という気持ちがあるからです。そういう生き方をしてきた私が最終的にたどり着いた場所。それが「頭で考えない」という矛盾する生き方です。じつは人間は頭が主体ではない。身体全体で考えることもできるし、ただ感じることもできる。それは決して手抜きではなく、むしろ自分のあり方を真正面から受け止めた真摯な生き方。理屈(頭で考える答え)ではないんです。もっと根本にある気持ちよさ。気持ち悪さ。それがとても大事なのではないか。それこそが人間の本質なのではないでしょうか。

ー安田佳生より

 

前々回184通目/大野「そこが問われている」

安田さんへ

なるほど!ちなみに、他人の意見や他人からの見え方を意識することそれ自体がマイナスというより、その意識の仕方によっては+にも−にもなり、ではそれがどのようなときにマイナス的に作用してしまうのか?の識別ができるか?できないか?が問題ですよね。無理して苦手なことをがんばらなくてもいいと言う安田さんの意見も、その視点を自分の状況のどういう時にどのように持ち込むのか、あるいは持ち込まないのか、そこが問われているわけであって。あと僕は正直、鬱になってしまう人の方が、まともな感覚や感性や感度をお持ちなんだと思っています。この世の中で、平気で生きていられる人たちの神経の方がどこかおかしいんです、自分も含めて。

ー大野より

 

これまでのやり取り

交換日記をする二人



火曜日
安田佳生(やすだ よしお)

1965年生まれ、大阪府出身。
2011年に40億円の負債を抱えて株式会社ワイキューブを民事再生。自己破産。1年間の放浪生活の後、境目研究家を名乗り社会復帰。

●金曜日
大野栄一(おおの えいいち)
株式会社一番大切なこと 代表取締役
https://ichibantaisetsunakoto.com/
https://www.sugoikaigi.jp/coach/eiichiono/

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