その49  進化論

「進化」ということば、
近年は個人の進歩を表現する際に使うところを
よく見かけますが、
本来は生物の種とか、かなり大きな単位に対して使うものではないかと思います。

進化論では
「進化とは環境の中で優れているから生き残るのではなく、
環境にもっとも適応したものが結果的に生き残ること」だと
説明されていたはずです。

そういった意味では
飲食店におけるラーメン屋さんの世界もまさに
進化の歴史を紡いで現代に至るということができるでしょう。

みんなだいすきラーメンも、
その中身は世界中多種多様なアレンジ、系統が存在し、
なにが優れていてなにが劣っているということはありません。
しかしながら
結果的には今はなかなか見かけなくなってしまったもの、
あるいは現在隆盛を極めているものまでさまざまです。

現在、とてもはやっているもののひとつに、
醤油と豚骨をブレンドした濃いスープを中心としたジャンルがあります。
(主に関東圏の話ですが)

横浜の一軒のお店から始まり、
厳しい修行を通して独立を許された
「のれん分け」で店舗が増えたものの、
多店舗展開をしているわけではなく
それぞれがローカルな経営をした結果広域化しているという形で、
その系列であるとか、
直接関係はないけれど内容はモロにそれだとかいうものを
ひとくくりにして〇〇系などと呼称されています。

しかし最近では、
〇〇系を呼称している中でも
そういった個人店とは無関係に始まり、
運営内容もスープ製造にセントラルキッチンを使うような
経営規模がまったく違うチェーンがどんどん出店しています。

店舗も個人店系がやや敷居が高い雰囲気であるのに対して
チェーンではファミリー向けを意識していたり、
なにより味の方向性が違っています。

まあ経緯からして
チェーン店が流行をみて追随したことは明らかですが、
人によっては
「味はチェーンの方が食べやすくて好き」
という意見も少なくないようです。
一方、個人店の関係者やファンの発言では
チェーン店はニセモノだと断じることすらあります。

特に個人店の側に立つ人にとっては
味にこだわりがあるというより、
その成り立ちにこだわりがあるようにも見受けられます。
昭和の雰囲気が漂う
白いゴム長靴を履いた男たちによって作られる
ラーメンこそが本物である、と。

いわばこれは味や価格の相違ではなく、
世の中の流行に合わせて効率化、ファスト化した価値観と
古いスタイルをアイデンティティにする価値観の相違なのです。

そしておそらく、次世代に選ばれていく理由は、
進化論に由来するところによれば
優劣ではなく「たまたま」なのです。
 

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著者自己紹介

「ぐぐっても名前が出てこない人」、略してGGです。フツーのサラリーマン。キャリアもフツー。

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