経営者のための映画講座 第79作『雨月物語』

このコラムについて

経営者諸氏、近頃、映画を観ていますか?なになに、忙しくてそれどころじゃない?おやおや、それはいけませんね。ならば、おひとつ、コラムでも。挑戦と挫折、成功と失敗、希望と絶望、金とSEX、友情と裏切り…。映画のなかでいくたびも描かれ、ビジネスの世界にも通ずるテーマを取り上げてご紹介します。著者は、元経営者で、現在は芸術系専門学校にて映像クラスの講師をつとめる映画人。公開は、毎週木曜日21時。夜のひとときを、読むロードショーでお愉しみください。

『雨月物語』に見る成長のチャンスと儲けの落とし穴。

1953年に公開された『雨月物語』の原作は、江戸時代後期に著された上田秋成の読本だ。もともと中国、日本の古典的な怪異談からピックアップされ、そこに上田秋成独自の感性や思想が加えられたものと考えられている。

1950年代から60年代の日本映画のなかには神話や昔話などに材を取り、人の愚かさや素晴らしさをシンプルに伝えたものが多かった。戦後間もない貧しさや混乱のなかで、人の本性のようなものを伝え、しかも、それが慎ましく生きることを説くことで、観客の共感を呼んだということもあるのかもしれない。映画『雨月物語』はその神話的とも言える物語と、名匠・溝口健二の的確な演出、さらに宮川一夫の見事なカメラワークによって、普遍性の高い名作となった。第13回ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞し、今でも世界の映画ベスト10、ベスト100などでは上位に必ず食い込んでくるほど世界中にファンを持つ作品である。

舞台は琵琶湖北岸の近江国。ここで暮らす貧しい農家の源十郎(森雅之)は、焼物も作っている。源十郎は戦に乗じて焼物で一儲けしようと大量の焼物を作り始める。妻の宮木(田中絹代)はそんな夫を見ていて不安で仕方がない。幼子と三人、静かに暮らせればそれでいいのに、と案じている。

妻子をおいて、焼物を売りに出た源十郎は品は武家の娘である若狭(京マチ子)に、焼物を売ってくれと声をかけられる。織田信長に滅ぼされた武家の生き残りだと名乗る若狭の妖艶さに惹かれた源十郎は、若狭と通じてしまう。やげて、若狭が亡霊だとわかり、宮木の元へと逃げ帰るのである。しかし、時はすでに遅く、宮木は落ち武者に殺されている。

一人、呆然とする源十郎だが、そのとき宮木の声が聞こえる。「私はずっとここにいますよ」と。源十郎は初めて、生前の宮木の言葉を思い出すのだ。「身分不相応な欲をおこしちゃだめだ。商いもいいが、どさくさ紛れに儲けたような金は、決して身につくものじゃない。お金が入れば、その上に欲が入るんだよ」。以来、源十郎は改心し、琵琶湖の畔で、静かに田畑を耕し続ける。

しかし、これを現代に置き換えると、どうだろう。書店のビジネス書のコーナーはどさくさ紛れに儲けよ、という書籍で溢れている。金融の値動きだけで儲けを叩き出すトレーダーは子どもたちの憧れの職業であり、文科省はそんな要望に応えて、金融商品の教育をし始めるらしい。

それもいいだろう。ただ、私たちは大人だ。人生の酸いも甘いも少しは経験してきた。数字だけで見分けられないことがある、ということも知っている。源十郎の迷いと狂気もわかるし、宮木の落胆もわかる。わかるからこそ出来る判断というものが、これからの時代にはもっとも大切なことになりそうな気がする。

著者について

植松 眞人(うえまつ まさと)
兵庫県生まれ。
大阪の映画学校で高林陽一、としおかたかおに師事。
宝塚、京都の撮影所で助監督を数年間。
25歳で広告の世界へ入り、広告制作会社勤務を経て、自ら広告・映像制作会社設立。25年以上に渡って経営に携わる。現在は母校ビジュアルアーツ専門学校で講師。映画監督、CMディレクターなど、多くの映像クリエーターを世に送り出す。
なら国際映画祭・学生部門『NARA-wave』選考委員。

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