終わりと始まり

採用するコスト。育成するコスト。
管理するコスト。評価するコスト。
これほどのコストを投下しても、
大きな黒字をもたらしてくれる社員は育たない。

育ったと思えば辞めてしまう。
残っている社員も不満があるようだ。
社員のモチベーションを高めるのも社長の仕事である。
とは言え食事に誘うのも気が引ける。

仕事の話をすればこれも残業なのかと思われる。
今や経営者は人を雇うことに疲れ果てている。
社長業はもはや昔のように
お気楽な商売ではないのである。

一方で雇われている社員も疲れている。
真面目に働いてもそれだけでは給料が増えない。
工夫をしろ、新しいことを考えろと言われる。
自分のことだけでも大変なのに
部下や新人の面倒まで見なくてはならない。

休め休めと言われるが、
休んだら大変になるのは自分自身である。
残業もするなとうるさく言われるが、
どうやって仕事をこなせばいいのだ。
育った部下は辞めていく。
会社は新たな人材をまた雇用しようとしているようだ。

その人材を育てるのは誰だ。
その新人の給料を稼ぐのは誰だ。
もうやってられない。
会社員もまた、昔のように
お気楽な稼業ではないのである。

社員がいなければ事業は成り立たない。
だから雇い続けるしかない。
だが有能な社員はやめていく。
もっと休みを増やし、
もっと報酬を増やしたいが、それも出来ない。

新たな社員の採用も、育成も、
その社員が育つまでの給料も、
会社が負担しなくてはならないのだ。
有能な社員にも我慢してもらうしかない。

雇う側には、雇う側の言い分があり、辛さもある。
雇われる側には、雇われる側の言い分があり、
辛さもある。
もはや成り立っていない。
それが多くの企業が抱える苦悩の根幹なのである。

不景気だ、デフレだ、消費税だ、少子化だと
叫んでみても、問題は解決しない。
なぜならばそれらは問題の根幹ではないから。
それらは単に終わりを早めるファクターに過ぎない。
いずれにしてもこの仕組みは終わっていくのだ。

我々が常識だと思ってきた仕事のやり方。
会社をつくり、事業を立ち上げ、
社員を雇って利益を上げる。
そのやり方そのものが終わりに向かって
進んでいるのである。

だが悲観することはない。
終わりとは始まりでもあるからだ。
縄文時代と弥生時代が全く違う常識で
成り立っていたように、
これから新しい常識がスタートする。
農業に槍や弓矢は要らない。

 


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