その102 不倫はよくない

ここのところ、
社会の前線で活躍している著名人について
何人かたてつづけに不倫報道が出ているのをみて、
個人的に関心を持っていた人たちであったこともあって
軽く衝撃を受けています。

それは、不倫をした事実の有無ではなく、
その扱いと、本人が即座にメディアの仕事を休止したり(降りたり)
している対応についてです。

みなさんそれぞれ、大きな才能を武器に名声を得た「強い人」であり、
わたくしごとき路傍の石が申し上げることではございませんが、
コトが広まるや否や
すぐさま可能最小サイズの平身低頭と
活動自粛モードへの切り替えを行っている様をみるに、
その動きは世間という閻魔大王の「怒り」を最小化するための
きわめて理性的ムーブであるに違いありません。

逆にいえば、それほどの冷静さとタフさを持っていても
個人では世間という権力者には抗いようもないのです。
額をこすりつけて許しを得るか、
申し開きの結果、やがて話に飽きて関心を失ってもらうか、
それは世間の一貫性がない、きわめて気まぐれな意思に任せるほかありません。

自分が大人でなかった時代に
不倫というネタがどう扱われていたかは認識できませんが、
おそらくここは違うのだろうなという点は
昔はもっと「下品」なトピックであっただろうということです。

有名人の不倫が人気コンテンツであったことには変わりありませんが、
報じるメディアは「下世話」「低俗」の烙印を押されたものに限られ、
一流を自認するメディアは、口元にハンカチをあてて、
極力「不倫」などという単語自体を使わないようにしていた印象があります。
不倫とはそんなような立ち位置であったはずです。

多少乱暴にいわせていただければ、
世間にとって現代の不倫というのは、
単に個人のプライベートの範囲におけるアレコレではなく、
犯罪やコンプラを逸脱する行為と同じ
反社会的行為のひとつとみなされているのではないかと思います。

不倫とは、極端な話、当事者たちで合意が成立していれば誰にも干渉できず、
加害者・被害者的なものがあったところで
第三者が制裁を行う法的根拠を示すことはきわめて難しいにもかかわらず、
モラルの名の元に公然と社会的な「裁き」の対象となるのは

反社行為との混同が起こっているからこそでしょう。

ただ、不倫を行う個人のモラルが問われることがあっても、
世間というもののモラルが採点されることはありません。
仮に、世間というものを擬人化するとすれば、
いま一番の関心事はたぶん、ある野球選手の結婚相手が誰か?ということです。

そんな奴柄のモラルなど、知れたものではありますまいか。

 

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著者自己紹介

「ぐぐっても名前が出てこない人」、略してGGです。フツーのサラリーマン。キャリアもフツー。

リーマン20年のキャリアを3ヶ月分に集約し、フツーだけど濃度はまあまあすごいエッセンスをご提供するカリキュラム、「グッドゴーイング」を制作中です。

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